そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

ハレとケとシリ

ハレとケとは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。
民俗学文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。
ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した。
               wikipediaより


なんでも1603年に刊行のイエズス会による日本語とポルトガル語の辞書には既に「ハレ」と「ケ」の記載があるらしい。ポルトガル人が日本語を学ぶ上でも避けて通れない言葉だったのだな。


そう、人生にはハレの日とケの日がありますね。非日常と日常。
そして日常の中には良い日もあれば、ダメな日もある。


今日の私は元気がない。
一週間頑張ったので、家に帰ったらもう疲れてめためたのぐずぐずに凹んでめそめそしていた。
なにか元気の出るものはないか、と思っていたらスマホの中に以前に保存しておいたいい尻があった。



ティモンディの高岸くんがBC栃木で先発した試合で、元ソフトバンクのムネリンに励まされているのだけど、このムネリンの尻が素晴らしすぎてスクショしたやつだ。
やっぱあれだな。悲しい時は尻だな。尻の写真を保存しておいて良かった。



恋の掟」という映画の中でティーンネイジャーの尻に顔を埋めるコリン・ファースの写真も「イケメン」フォルダに保存してあった。ありがてえ、ありがてえ。



「吉宗評判記暴れん坊将軍」の若かりし松平健の尻。いつ見てもトキめく。



そして2016年の稽古総見の写真。尻の陳列会だ。素晴らしいな。
ああ、9月場所が楽しみだな。思う存分尻が見たい。


人生にはハレの日とケの日がある。私には毛の日と尻の日もある。今日は尻の日。

白い朝

「濃霧注意報」という言葉を聞くたびにいつもとんがり帽子のノームが頭をよぎるけど。



仙台に来たら、天気予報でやたらと「濃霧注意報」が出る。海が近いせいらしい。
それでも今までそんな霧に包まれたことはなかったけど、今朝はすごかった。



朝起きたら窓の外が真っ白だった。
うわー、これが「濃霧」てやつかー、と写真を取った。


でも、街なかに住む同僚たちは「え?そうなんですか?」という感じだった。
やっぱり地域によって大きく違うんだな。


朝霧なのに、霧と言ったら石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」しか浮かばず、朝から脳内に裕次郎のいい声が流れてしまった。



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奇跡の人


この前、うちで「だらだらと漫画を読む会」を開催したので、ガラスの仮面ダンボールから出した。
出したら読んでしまう。何度読んでも面白いな。
亜弓さんの男気溢れるマヤの仇討ち、恋愛に興味がなさすぎて、いっそ清々しいまでに端役の男を利用して「恋愛の疑似体験」をする鬼っぷり。


そんな中でも今回一番読みたかったシーンは「奇跡の人」オーディションのためにマヤが山荘にこもってヘレン・ケラーの感覚をつかもうとするところだ。
耳に粘土を入れ、目を布で塞いだマヤは退屈しのぎに毛糸玉を引いては巻き、引いては巻き、繰り返して遊ぶ。




さて、仕事がヒマだ。本当の本当にヒマだ。
インターネットがあれば、調べ物したり、地図を見たり、Amazonを眺めたりでもできるだろう。
でもインターネットのない会社だ。
これを言うとみんな笑うが、本当にないのだ。回線は課に1本。「ネット使いまーす」「終わりましたー」と声掛けが必須だ。
そんな職場で呑気にAmazonなど見ていられようか。


そうなるとただ座って祈りを捧げるか瞑想するかしかない。
マニュアルはもう作った。見ることのできる資料はほぼすべて見た。あちこちを掃除し、ゴム印類も拭き上げ、電話メモも大量に作成した。社内便用封筒の補修もした。
そうしてもうやることのなくなった私にできることはただ、平たいゴムを伸ばしたり丸めたり伸ばしたり丸めたりすることだけだ。



延々とゴムを丸めているとだんだんゴムに粘りが出て粘土のようになってくるんですよ、知っていましたか?知りませんよね。だって普通は延々とこんなことしない。
こんなことを延々と繰り返すのは、ガラスの仮面のマヤのように「奇跡の人」になろうとするときだけ。
私、あのオーディションに出れるな、と思いながら延々と丸めていた。そして時々密かに机で泣いた。


もう精神的に限界だと思い、上長に「仕事がないので辞めたい」とお伝えしたところ「そうだったんだ、ごめんね。でも考え直してほしい」と言っていただいた。
驚くじゃない…。「そうだったんだ」て!「そうだったんだ」って!!
私があんなにヒマそうにしていても、何もせずに座っていても、別に気にならなかったのか。そうなのか。そうなのね。


開き直った私、今日も暇だったので、折り紙をしていた。
明日はやることがあるだろうか。
上長は「辞められたら困るの」と言っていたけど、困らないでしょ。だって何もしていないんだもの。
いろんな意味で「奇跡の人」だもの。

名画と猫

裸のマハ



裸の猫




日傘をさす女


雨傘をさす猫




サン・ベルナール峠を越えるボナパルト


ひんやりマットを小粋にかぶるポーという名の猫



青いターバンの少女


白いシーツの猫


包帯をしてパイプをくわえた自画像


ごろ寝をして猫じゃらしをくわえたドヤ顔


猫の芸術性よ。

君の名は

写真でも絵でもなんでも、その写真が素晴らしいか絵が素晴らしいかもさることながら、何よりタイトルのセンスが問われるものだと私は思っている。
どんなに素晴らしい写真でも、タイトルが「久遠の彼方」とか「祈り-eternity-」とかだと「ああ、こういう小うるさい自分大好きなセンスの人ねーー」と、作品の魅力もガタ落ちになる。



反対にワイエスの絵のように「松ぼっくり男爵」などと名付けられていると、「松ぼっくり!そして男爵!?どうしてなの、ワイエス。でも好き!」と心を鷲掴みにされてしまう。


さて、先日宮城県美術館へ行ってきた。素晴らしい美術館だった。
大らかでのどかで、のんびりしていて、カフェの食事は大盛りだ。昼下がりの美術館の中庭のカフェで家族連れがもりもりとご飯を食べている。
なんだかスペインに行ったときを思い出した。この感じ、ここは東北なのになんだか、ヨーロッパ感あるな、と思っていた。

こんなイメージ。
宮城県美術館。やっぱり空が広い。


上野からポンペイ展が巡回してきていたけど、おそらくそこでベスビオ火山の絵か何かを見たのだろう人々が、「岩手山かと思っちゃったー、そんなわけないよねー」とアハアハ笑いながらご飯を食べていたので、その感想、すごいな、と私は心底感心した。


この日、私はポンペイ展を見に行ったのではなく、常設展を見に行った。
なんでも宮城県美術館パウル・クレーの絵を結構持っているとのことだったので。
そしてこの美術館は常設展の料金で佐藤忠良記念館に入ることもできる。


佐藤忠良宮城県出身の彫刻家で、絵本「大きなかぶ」の挿絵も描いた人だ。



この絵!
私も子供の頃、この絵で「大きなかぶ」を読んだなあ、この人だったのか!と驚いた。彫刻家の人が描いた絵だったんだなあ。
彫刻も素晴らしかった。躍動感ある鹿とか。



だが、何より「この人、なんかすごいな」と思ったのはそのネーミングセンスだ。

常磐の大工」
「群馬の人」
「鋳物職」


「にいがた」という女性像もあったので、地名シリーズかと思いきや、突然職業に変えてくる。
そしてどう見ても若かりし王貞治であろう彫刻の名は「記録を作った男の顔」



素直じゃないくせして、気取りすぎてもいないこのネーミングセンス。不思議な匿名性。いいな。
私、この人、好きだな、と思った。


宮城県美術館もしみじみ好きだな、と思った。なにせ常設展350円だしな。

ゴトオの部屋

今日は友人鮭太郎とくまちゃんがうちに遊びに来て、別に何をするでもなく、ただだらだらとすごした。


猫カフェマンガ喫茶という感じで、猫を構いながら黙々と漫画を読み、枝豆を湯がいて食べたり、松島航空祭のライブ映像なんか見たり。
くまちゃんがわざわざ買ってきてくれたひょうたん揚げも食べたし、鮭太郎と閖上の朝市で買った味噌おにぎりも食べた。




3人でいるのにみんな漫画を読んでいてシーーーンとしていたり、時々おしゃべりしたり。



今はもう疎遠になってしまったけれど、中学校から20代にかけゴトオと言う友人がいた。病弱だったこともあり、ご両親から大変甘やかされていた彼女はおこずかいもたくさんもらっていて、漫画やCDの新刊をいつも必ず揃えていた。当時、自分の部屋に専用のテレビがある、なんていうのもゴトオくらいのものだった。


そんなわけで、友人たちと遊ぶ時はだいたいゴトオの家に行って、ただ黙々と漫画を読んだり、テレビを見たりしていた。みんなで泊まり込んで明け方まで同人誌を読み漁ったり、ドラマCDを聴いて身悶えたりしたこともある。
北斗の拳を初めて読んだのだって、ゴトオの部屋だった。立派な愛蔵版があったのだ。美味しんぼを延々と読み進めたのもあの部屋だ。



大人になって、ゴトオと疎遠になってしまって、それでも時々あの部屋を思い出した。当時の私が欲しかった漫画、欲しかったCD、欲しかった同人誌が一番揃っていたのはあの部屋だった。どんなマンガ喫茶だって、あんなに偏ったラインナップではないはずだ。
今もしもゴトオと再会したって、もうあの時のあのラインナップでもないし、あの時のあの部屋でもない。


埼玉から横浜に引っ越したあとだって、何かあれば所沢のゴトオの家まで行って話し込んだ。それぞれの、未練がましい恋の話なんかも延々とした。



それこそ「耳をすませば」の雫とゆうこみたいに。こんなに乙女テイストなお部屋じゃなかったけど。
なにせ「北斗の拳」愛蔵版が燦然と輝く本棚がそびえ立つ部屋だ。
懐かしいな。もう戻れないあの部屋が恋しい。


あの時、ゴトオの部屋で過ごしたみたいな時間を今日は我が家で仙台の友達とすごした。
私の漫画や本のラインナップはあの時のゴトオの部屋みたいに魅力的だろうか、なんて思いながら。
ゴトオの部屋を懐かしく思い出して比べてしまいながら。
ずいぶん時が経って、ずいぶん年も取ったのに、中高生の頃と何も変わらないな、と苦笑いしながら。

冬がはじまるよ


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お盆が終わったらガタっと涼しい。特に朝晩は冷やっとした風が吹いて寒いくらいだ。
東北の夏ってお盆までなんだなあ、としみじみする。
エアコンを丸一日つけることなんてほとんどない夏だった。それでも仙台の人たちは「今年は暑い、異常だ」と言う。涼しい朝でも首にアイスノンみたいなネッククーラーを巻いている人たちもいる。


金曜日は会社帰りに美容院に行ってきた。友人オススメの美容院。
美容師さんは「えええー、関東からきたんですかー。やっぱり東北って涼しいですか?」とおっしゃる。
ええ、涼しいですよ。もう寒いくらい。こんな気温、関東だったら9月末か10月です、と伝えると「ええー、私なんかまだ暑くてエアコンかけて寝てるのにー」ですって。
いや、窓開けてごらんて!涼しいって!

国内フィギュアスケート発祥の地の近くはもう銀杏が落ちていた。


「じゃあ、私たち、東北人が関東に行ったらきっと溶けちゃいますね」とのこと。
…そうでしょうね。
あの、関東での「外に出た瞬間にもわーーーーっとした熱気に押しつぶされそうになる感覚」や、「洗濯物がホカホカのバリバリに乾く感覚」を仙台に来てから味合わなかったもの。蒸し暑さはあったけれど。


そんなわけで「涼しいなあ、運動会日和だなあ、空が高いなあ」と思いながら来るべき冬に怯えているし、着々と準備も進めている。
今日はこたつとこたつ布団が届いた。
こたつカバーとこたつ毛布も注文した。

広瀬川~ 流れる岸辺~♪


仙台では灯油の宅配受付は9月から始まるらしい。それも申し込まなければ。
美容師さんは「ワークマンで防寒着買ったらいいですよ」と言っていた。ワークマンか…。それかモンベルか。ともかく都会装備じゃダメなんだろう。
山用の装備じゃないと。


仙台に来て気がついたのは、原付バイクが少ないことだ。乗っているのはほぼ学生さんくらいだろう。そうだよな、冬が寒いもんな。路面凍結したら危ないし、車がいいよな。
そしてみんなが車で移動するから仙台の人は「まあ、冬もそんなに寒くない」とか言うんだろう。歩く人は「風が痛い」と言う。想像するだけで寒い。


まだ8月なのに、もう夏じゃない。そしてきっと3月になっても春じゃないんだろう。
それなのに「涼しくなったら山形に遊びに行こうよ!」などと友人に誘われる不思議。
もう、涼しいんだってば!涼しすぎるくらいなんだってば!