そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

スーパースター

いよいよ明日が忠臣蔵の討ち入りの日で、あちこちであれこれ忠臣蔵の話を聞く。
そんな中、Twitterでみかけたのがこのマンガで「忠臣蔵とか正直苦手な人」

いつだったかのブラタモリで、タモリさんも「正直あの事件はおかしい。異質だ」と言っていた。
それでよしながふみの「大奥」を思い出した。
初めて「そう言えば忠臣蔵ってちょっとおかしいよな」って思ったのはあのマンガだった。

「ひらばのひと」では「忠臣蔵というのはすれ違いの物語だから」と描かれていて、よしながふみの男女逆転「大奥」では連絡の行き違いと「ルールの違い」男と女の性差、みたいなものが描かれている。
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そこに加えて今、忠臣蔵をあれこれ見る中で恐ろしいなと思うのが「群衆の熱狂」だ。
あの物語が何度も何度も語られ美談とされ、好まれる姿を見ていると昨今のネット炎上と「炎上させることによって己の正義感を満足させることができた群衆」の恐ろしさを突きつけられる。

キリスト最後の7日間を描いたミュージカル「ジーザス・クライスト=スーパースター」もそうだった。
為政者は、群衆のヒーローとなったキリストを恐れ、それでいてキリストの処分に困っていた。それを「殺せ!磔にしろ!!」と喚き立てたのは群衆だ。


キリストも赤穂浪士も「群衆にのせられて後に引けなくなった人」のように思える。
第二次世界大戦突入時の政府を追ったドキュメンタリーなどもそうだ。群衆が「弱腰外交はダメだ、戦え!戦争だ!!」と大騒ぎするのだ。
けれど、敗戦すればすべて「お国のせいで…」となる。


赤穂浪士は討ち入りの後、みんな死んだから完璧なのだろう。
人は好きに彼らの人生を消費することができる。そして「己の正義感は正しかった」と自己陶酔できる。永遠に「自分の期待を裏切らないスーパースター」を胸の内においておける。
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もう300年以上前の出来事がいまだに「一方的な美談」として語られる様を見ながら、傍観者の私は「炎上って恐ろしい、人の槍玉にあがるって恐ろしい」と心底思う。
けれどその一方で群衆の中の一人の私が「いやー痛快だね、面白いね」と思ってもいる。
三波春夫が高らかに「元禄忠臣蔵こそ、ニッポン人の大ロマンである!!」と宣言するのを心地よくも聞き、またどこかで気持ち悪くも感じている。


兎にも角にも思うのは群衆がこれだけ熱狂して暴走する、それだけ時代が鬱屈しているんだろうなということだ。
コロナ禍の今も。
戦争に突入する不景気なあの頃も、300年前生類憐れみの令だなんだと規制が厳しかったあの頃の人も、厳しい気候の中で貧しさにあえいでいた中東の人々も。