落とし穴
朝から神田沙也加が亡くなったニュースに絶句した。
今思えばあの時死んでたな、と思う瞬間のことを、折に触れて思い出す。
当時かなりのブラック企業に勤めていて心底疲れ切っていた。
深夜の帰り道、もうまっすぐ歩けなくてふらふらと車道にでてしまった。
そのときにぼんやりと思った。
「あ、今、ここに車が来れば死ねるな」
結局深夜だったので車も来ず、今もこうして生きているが、あの時が一番「死」に近かったと思う。
死にたいと思ったわけじゃなかった。
死んでやる!と思ったわけでもなかった。
ただぼんやりと「ああ、これで死ねる」と思っただけだ。
そんな風にふっと何かの拍子で落とし穴の開く瞬間がある。
ほんの一瞬のことだ。
二世タレントとしていろいろと注目されご苦労もあったかと思うが、幸福なお嬢さんだと思っていた。
小さな頃から聖子ちゃんのコンサートに一緒に出ている姿が朝のワイドショーでよく話題になっていた。
華やかに見える芸能界の方がこういう選択をするたびに、隣でふっと口をあける落とし穴のことを思って恐ろしくなる。
「それは本当に―――本当に深いのよ」と直子は丁寧に言葉を選びながら言った。彼女はときどきそんな話し方をした。正確な言葉を探し求めなとてもゆっくりと話すのだ。「本当に深いの。でもそれが何処にあるかは誰にもわからないの。このへんの何処かにあることは確かなんだけれど」
村上春樹 「ノルウェイの森」より