横綱相撲
NHK BS1 12/20放送 スポーツ×ヒューマン「誰よりも相撲を愛して 孤高の横綱 白鵬」
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— nhksumo (@NhkSumo) 2021年12月17日
“誰よりも相撲を愛している”
稀代の横綱 #白鵬
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20年間、相撲に一身を捧げて引退
壮絶な闘いに隠された葛藤とは
スポーツ×ヒューマン
【20日(月)夜9時 BS1】#相撲 #sumo #スポーツヒューマン pic.twitter.com/QaVf1aZjro
一瞬録画を忘れたかと思って焦ったけど、ちゃんと録れてた。良かった!
白鵬のドキュメンタリーはNHKスペシャルも見たけれど、あれも今回のも胸が痛んだ。
モンゴル人だから、外国人だから、日本人横綱が、日本出身力士が、日本国籍が…。
日本の嫌いな所、相撲の嫌いなところはそこ。
八百長問題に揺れたあの頃は「横綱だから」と汚れ役を白鵬に背負わせて、それが落ち着けば今度は「モンゴル人だから」と言い始める。
「日本人に好かれたい」と孤独の中で葛藤する白鵬が言う。
「自分に何ができるかというと優勝することしかできない」
…恐ろしい。そんなこと他の誰に言えるっていうんだ。「優勝することしかできない」
晩年の相撲の取り口が横綱の品格にふさわしくないと叩かれたことにも触れ、NHKが白鵬に「横綱相撲ってどんな相撲だと思いますか」と質問を投げたら、白鵬はなんだか泣きそうな顔で考えながら答えた。
「今思えば、いくら若くても何歳になっても優しくてもいい横綱でも土俵の上で結果を出さなければ引退だ。勝つことが横綱相撲だと私は思ってますね」
本当に正直な気持ちだろうなと思った。
そうなのだ。結果を出さなければ横綱には引退しかない。
苦労して横綱になって、でも人は必ず老いるからいつまでも全盛期の自分じゃない。
結果が出ない、美しい勝ち方ができない、そうなった時に、すぐ辞めるのが横綱でいいのかな、ということをここ数年考えている。
稀勢の里は「久々の日本人横綱だ!!」と周囲に期待され、持ち上げられて横綱の地位についたけど、横綱にならなきゃもう少しやれてたんじゃないのか、と思う。なんだかすごくもったいない気がしてしまうのだ。
それが「潔さ」「横綱の品格」いつまでもそれでいいんだろうか。
例えば昔のように、人間が皆60くらいであっさり死ぬ時代だったら、横綱もそれでいいと思う。
だけど人間が「なんとかして長生きしたい」と痴呆になろうがどうしようが生きながらえている時代に、横綱だけに「潔さ」を求めるのはどうなのか。
例えば野球なら、投手が老いて、かつてのように投げられなくなった時に中継ぎや抑えに転向したり、以前とは違う投球スタイルで選手生命をつないでいけたりする。
以前に巨人の堀内恒夫が野村監督批判に反論するコメントをどこかで読んで感動した。
ヤクルトの相手の嫌な事を徹底して付く戦略の中でも、シュートは重要でね。一回終わった投手でもシュートを自分の源にすることで蘇る。打者からすると嫌らしい球ですけど、死んだ投手を生き返らせる(中略)
ただその分、負担が大きく寿命を減らす。
中には「野村の投手再生は潰しているだけだ」と言うのもいますけど、投手の生き死にを知らん輩だから言えるのでね。
もう死んだ自分がマウンドで、自分の球、プライドの、自分自身を再び相手にぶつけられる。
投手として生まれ、生きて、死んでも死に切れない、あの場でまた自分に成れるのならばどんな代償だって、命も惜しくないんですよ、投手は。
それをね、投手の使い捨てだの何だのと、野村批判がしたいだけなんだろうけどね、投手を侮辱するにも程がある。
老いていく横綱が、横綱であるために勝たなければ、と必死になるその姿は「美しい」とは呼ばれないんだろうか。
「全盛期と同じ働き方ができなくなったらあなたに用はありませんよ、潔く去りなさい」というのが本当に「潔い美しさ」なんだろうか。
そんなことをモヤモヤと考えるけれど、白鵬はきっともっとずっと考えたことだろうな。