二者択一

横浜中華街を舞台にしたドキュメンタリー映画「華のスミカ」を見てきた。
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毛沢東率いる中国と、蒋介石率いる台湾との争いが日本に住む華僑にまで及び、学校も大陸系と台湾系の2つに分断される。
華僑の2世や3世たちが、中国に行ったことさえなくても、そのイデオロギーを胸にぶつかり合う。教育の賜物もあるだろうけれど、そんなにも傾倒していったのは、自分の居場所を求めてなのだろうと思う。


大陸系の学校の元教師は熱烈な毛沢東支持者で生徒たちにもその教えを説いてきたけれど、日中国交回復の際に通訳として中国に行ったらスパイ扱いされ、また自分が思い描いていた中国の姿とも違ったことに困惑したようなことを話していた。
「自分の本来あるべき場所」に大きな夢を抱きながら生きてきたんだろう。


人々は様々な理由でどちらを支持するかを選んだり、選べなかったりする。
「植民地支配から開放してくれたから毛沢東
終戦後の食糧難の際、アメリカと組んで食料を確保して助けてくれたから蒋介石
「親に大陸系の学校に入れられた」

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どっちの猫が可愛いか


もしもそんな選択を迫られた時に自分ならどうするかと考えるが、実感が伴わず、選べる気がしない。
身を寄せ合わないと生きていくことが難しいから、助け合わないと暮らせないから、人はコミュニティを選択し、そしてそこに染まろうとするのだと思う。
そして今は生きていくことにそれほど困らないから「個の時代」なんだろう。
そんな時代の、しかも日本に生まれて育ったら、正直言ってアメリカと中国の対立も、中国と台湾の対立も、キリスト教イスラム教の対立も黒人と白人の対立も、自分の問題として理解することができずにいる。


だけど、きっと当事者だったとしてもそうなんじゃないかとも思うのだ。
ある日、誰かが勝手に北朝鮮南朝鮮に線を引き、東西ドイツに壁を作り、中国と台湾がわかれ、ベトナムを分割しようとして、その時だって、選んだ者、選べなかった者、選んだ方を心底信じることができた者、選んだものの後悔に暮れた者、諦めた者、様々な人がいたんだろう。

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遠い国から連れて来られて、選びようもなくここで生きる

最近の世の中は「多様性」が謳われ、性の多様性の話をきくことも多いので、何かの拍子に「性別に○をつけてください:男 女」と書かれていると、自らのセクシュアリティになんら疑問をもったことのない私でも若干違和感を感じるようになった。
その一方で、「善と悪」「白と黒」「右と左」「アメリカと中国」「摂取済と未摂取」と選択肢を2つに絞られて意図的に分断されているような気もする今日このごろ。


終映後、舞台挨拶にでてきた監督が緊張で少し声を震わせて話すのを聞きながら、そんなことを考えた。