あの日の暗闇 二子玉川-瀬田
いつかどこかで聞いたことがある。
舞台照明で本当に難しいのは闇を作り出すことだって。
あの吸い込まれるような暗闇を。
電車では毎日のように通り過ぎても、きちんと歩いたことはほとんどなかったので、二子玉川を少しだけ散歩することにした。
玉川高島屋の横から、綺麗に空が映る小さな川を超えて、坂をのぼって。
玉川寺。手入れの行き届いたお庭を、よく太った猫がささっと横切っていった。
本殿の梁の上の彫刻がなんだか楽しそう。
玉川寺からマンションを挟んですぐ隣に玉川神社。神社の石段では小学生男子が遊んでいた。
江戸時代の子も、明治、大正、昭和でも、令和になっても、子供は神社の石段で遊ぶものなのだな。
今は隙間さえあればマンションが建って、マンションとマンションの間で窮屈そうにしているけれど、昔は相当眺めが良かっただろう。多摩川も丹沢も富士山も見渡せただろう、立派な神社。
すぐ隣は、金ピカの鴟尾の輝く慈眼寺。儲かってそうな印象。
修道院のグラウンドを横目に坂を降りて、玉川大師へ。
ホームページはおしゃれげだけど、本堂は、田舎の親戚の家みたいに石油ストーブと古い畳の匂いがした。
ここの一番の目玉が地下霊場で、どういうものかと思ったら元善光寺の胎内めぐりのように本堂の地下に降りて、暗闇を手探りで歩くのだ。
本当の暗闇だ。あまりに暗くて、前後だけじゃない、上下もわからなくなる。浮いているような気持ちになる。ああ、これは自分を見つめ直さざるを得ないなと思う。
もうすぐまた、3月11日がやってくる。
あの震災から11年だ。別に自分に大きな被害があったわけでもないのに、あの時、「もう二度と笑える日は来ない、いつもどおりの春も来ない」という気持ちになっていた。
計画停電の日、駅から帰る道のりが信じられないほど暗くて、怖くて悲しくて泣きながら歩いた。
今まで、夜道を歩いたって、自販機、信号、コンビニ、外灯があるのが当たり前だった。すべてが消えた夜はこんなにも暗いのか、とショックだった。
大した被害もなかったくせに甘ったれた私が計画停電の闇で泣いていたのに、震災当日に東北で、地震と津波に遭った人たちは、あとで口々に「町の明かりが全部消えたあの日の星空は怖いほど美しかった」と言っていた。
私は星空を見上げようなんて思いもつかなかった。
この地下霊堂の暗闇はあの計画停電の日よりも暗い。吸い込まれるような暗さだ。遠くに明かりが見えてきても、その距離感がわからなくて、いつまでも近づかないような気がしてくる。
四国八十八ヶ所のお大師様をすぎると西国三十三所の観音様と涅槃像、弘法大師様がいらっしゃる。
あんな非日常の暗がりを手探りでこえてたどり着くと、それだけでありがたくてすがりたい心持ちになる。
昔の日本にはあんな「本当の暗闇」があちこちにあったのだろうか。
あの震災の時の、あの暗闇に泣いていた甘ったれた自分を思い出すたびに「人生には時折、本当の闇が必要なのかもしれない」と思う。
また来ようと思った。本当の闇の中で、途方にくれるために。