そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

からっぽ

以前に整体に行った時に先生に言われた。
「力を抜いて下さい。まだ力が入っています。…うーん…。力を抜くのが苦手なんですね」


自分では力を抜いているつもりだったので、びっくりした。力を抜くというのにも上手い下手、得意不得意があるんだな、と。
確かに言われて見れば、力を抜くのが苦手な方なのかもしれない。


飲み屋で馴れ馴れしい男にしたり顔で言われたこともある。「お前はさー、もっと肩の力抜いた方がいいよ」
あの時は「は?放っておいてくれ」と思ったものだけど、まあ、ある意味正解だったと思う。
なんというか、力を抜いてだらーんとするなんて、そんなことでは生きていかれない!という気持ちもあったから。

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リラックスの天才


学生時代、一人暮らしを始めてしみじみ思ったことは「なんでも自分で決めなければいけないことの面倒臭さ」だ。
今日の夕ご飯を何にするか、明日のお弁当はどうするか、洗剤はどれを選ぶか、洗濯はいつするか。
一人だから好きなものを食べていいし、好きな洗剤を使っていい。その代わり全て自分で決めて自分で選ぶ。

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こちらも幼少時よりリラックスの才能をいかんなく発揮。


常にいろんなことを考えなければいけなくて、「まるで不要なチラシばかり放り込まれるポストみたいだ」と商店街の片隅の喫茶店でため息をついたことをよく覚えている。


あれから時は経ち、自分の生活のことを自分で決めるのは苦にならなくなったし、常に頭の中にいろんな懸案事項があることにも慣れた。
だけど、「力を抜くのが下手」なのはそのせいなんだろうな、と思う。


本当は、美しい景色を見たり、きれいな絵を見たり、海を見たら、ただぼんやりとそこに座っていたい。
だけど、暑いの寒いの、あれはなんだ、これはなんだ、お昼は何を食べようか、どこまで行こうか、どうやって帰ろうか、冷蔵庫に何が残ってたか、と考え、最終的には「そういえばあれってなんだっけ」とスマホを取り出してあれこれ調べ、横道へそれてしまう。

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サザンビーチ。海を見つめるカラス。


ああ、なんにも考えずにぼんやりしたい。ぼんやりする時間が必要だ。
テレビ見ながら何かが気になってスマホをいじって調べながら御飯食べるような、そんな「あれもこれも」はやめたい。
からっぽになりたい。

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2013年11月 サザンビーチ


家ではきっと無理だし、どこか何か静かに瞑想的なことがカジュアルにできる場所…と考えて、今日はヨガの体験教室に行ってきた。
初めてなので他の教室のことは知らないが、最後にシーンとした空間の中でゆっくりぼんやり静かにしていられる時間があって、ああ、これを求めていたわ、と思った。


なるほど、みんながヨガにハマるのはこういうことだったのか。
これから週1で通おうと思っている。
からっぽになってぼんやりしたいから。


からっぽになってぼんやりするためにお金を支払うなんて不思議なことだな、と思いつつも。
お金を払って誰かに環境を整えてもらって、手助けしてもらわないと、からっぽになってぼんやりできないなんて、本当に不思議。

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人間って楽じゃないわね


みんな「しっかりすること」ばっかり一人で上手にできるようになって、からっぽでぼんやりすることは一人でできなくなっている世の中。