飴と鞭

昔の職場に松井秀喜が大好きな女の子がいた。


正直、私は松井秀喜が好きじゃなかった。
私より二つ年上の彼のことを初めて知ったのは高校1年生の夏、彼が甲子園で明徳に5打席連続敬遠をされて大騒ぎになったあの時だ。



当時の私は高校野球なんてもう大嫌いだった。野球部と来たら声が大きいし、雨の日は階段を大声上げながら猛ダッシュするし、なんなの、あのゴリラ!!と思っていた。
その上、すごいのなんの大騒ぎされているこの3年生の松井秀喜の老け顔と来たらどうだ。こんなのが同じ高校生?あり得ない!と思った。


松井秀喜が大好きな同僚は満面の笑みで言った。
松井秀喜人生で一度も人の悪口を言ったことがないんですよ?すごくないですか?」
すごいと言うより「いけすかないわー」と思った。ヤンキースでグッドガイ賞をもらっているのもいけすかなかった。


そんな、「人の悪口言ったことがない」なんて人、本当にいるの?どうせ心の中では「死ね」とか思ってるんでしょ?
人の悪口を言ったことがないなんてそんなの生身の人間だと思えなかった。


松井秀喜を初めて「あ、この人もちゃんと人間なんだな」と思えたのは何かの記事で「一番好きな本は三島由紀夫の”午後の曳航”です」と言っていたのを見たときだ。
そうなんだ、あんな屈折した少年の小説が好きなのか、それなら信用できるなと思った。


読書好きの同僚にも「松井秀喜って人の悪口言ったことないとかでいけすかなかったんだけどさ、あの人が三島由紀夫の”午後の曳航”が好きって聞いて初めて、あ、まともな人だって思えたわ」と伝えたところ、同僚も「ああ、あれが好きっていう人間臭さはいい。わかる!」と言っていた。



別に会ったことがあるわけでも話したことがあるわけでもないから、本当のところ、彼がどんな人なのかは知らない。
心の底から悪口を言わない人なのかもしれないし、心の中でだけひどい悪口を言ってきた人なのか、それはわからない。



昨今の世の中ではヘイトスピーチやネットでの中傷が大きなニュースになることが多いから、わりとみんな炎上しないようにあらゆる方面に気を使いながら発言していると思う。


自分がこうやってブログを書いていたって、そんなにたくさんの人が読んでいるわけでもないのに「もしかしてこれは誰かを怒らせるのでは」「誰かを傷つけるのでは」と考えることもある。
昔書いていたブログが、ちょっとだけバズった時、たくさんのコメントをもらったけれど、その中には「この女は何様のつもりだよ」という怒りのコメントもあった。「いい気になるな」とも言われた。


そして10年経ってもそのコメントを覚えている。
でも褒められた言葉はすぐに忘れる。
だから思うのだ。


悪口はまるで槍のように遠くまで届き、いつまで経っても胸に突き刺さって残る。
優しい言葉は飴のように、胸ですっと溶けて消えていく。
優しい言葉や元気をくれる言葉ばかりをずっと覚えていられればいいのに、一瞬胸を暖かくして儚く消えてしまう。

和三盆みたいにじゅわっと。


外国の人が、毎日家族に長電話したり、なにかにつけて「愛してる」と言い合うのは、優しい言葉がすぐに溶けてしまうことを知っているからなんだろうか。
元気な言葉が欲しくて、励ましてほしくて、ここ最近は前向きな言葉をくれる動画を狂ったように繰り返し見たり、前向きになれる曲をエンドレスリピートしたりしている。


鞭の痛みは一度でもずっと残るけど、飴の甘さはすぐに消えてしまうから、あの痛みを消すには何度も何度も何度でも飴を舐め続けて、自分に言い聞かせるしかない。


そう思うと、心の中でどう思っていたにしろ、悪口を言わなかった松井秀喜ってすごいな、と今頃あの同僚の言葉に納得するのだ。
もしかしたら彼は、鞭の痛みをものすごく知っていた人なのかもしれない。