そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

やし酒とピナ・コラーダ

ある日、Amazonが私にとんでもない本を薦めて来た。


「わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった」――。やし酒を飲むことしか能のない男が、死んだ自分専属のやし酒造りの名人を呼び戻すため「死者の町」へと旅に出る。その途上で出会う、頭ガイ骨だけの紳士、指から生まれた赤ん坊、不帰(かえらじ)の天の町……。神話的想像力が豊かに息づく、アフリカ文学の最高峰。1952年刊。


なぜ…。
なぜこんな本を薦められたのかわからない。でもこんな推薦文を見て、読まずにいられるものか。
即座に注文したが、とにかく大変な本だ。

わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした。当時はタカラ貝だけが貨幣として通用していたので、どんなものでも安く手に入り、おまけに父は町一番の大金持ちでした。
父は、八人の子をもち、わたしは総領息子だった。他の兄弟は皆働き者だったが、わたしだけは大のやし酒飲みで、夜となく昼となくやし酒を飲んでいたので、なま水はのどを通らぬようになってしまった。
父は、わたしにやし酒をのむことだけしか脳のないのに気がついて、わたしのため専属のやし酒造りの名人を雇ってくれた。


こんな文章から物語は始まるのだ。
多分、目の前でこんなこと真剣に語られても、相槌も打てずに、「何を言っているんだ、この人は」と目を見開いて見つめることしかできないだろう。


このやし酒飲みは、父が雇ってくれたやし酒造りの名人が事故で死んでから、名人の魂を探して旅にでかけ、キリストの修行のようにあれこれ試されたりなどするようだ。


まだ読了していないので、最後はどうなるのかわからない。
ともかくも、この人をこんなにも夢中にさせる「やし酒」が気になって仕方なくなってしまったのだ。


wikipediaによると「ヤシ酒とは、ヤシから採れる液体 を醗酵させて作った、醸造酒の総称」とのことだ。
醸造とは食品材料を微生物によって発酵させ、更に熟成させることらしい。そう考えるとヤシ酒を作るには時間がかかることだろう。
しかしこの小説には書いてある。

このやし酒造りは、毎朝、百五十タルのやし酒を採集してきてくれたが、わたしは午後二時まえにそれをすっかり飲み干してしまい、そこで、彼はまた出かけて夕方にさらに七十五タル造っておいてくれ、それをわたしは朝まで飲んでいたものだった。


そんなにすぐに出来るのか、やし酒は。そんなのはただの椰子の実の汁なのではないか。
大体、朝から150樽だ。樽というのは普通の樽だろうか。水だってそんなに飲めないだろう。いろいろおかしすぎてどうでもよくなる。


そして、こんなにもやし酒に固執している人の話を読むうちに、なんだかちょっと飲んでみたくなる。
椰子の実は一度ベトナムで試したことがある。昔中華街でも流行っていて道端に椰子の実がごろごろ転がっていた。まあ、ココナッツみたいな味のあれだよな。
そう思うと、やし酒とはピナ・コラーダみたいなものか、と想像し、そこから村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を思い出す。


この本、初夏に読むには最高なのだ。
何がいいって、十三歳の女の子がハワイでピナ・コラーダを飲みまくるところだ。

「ねえ、それまた少し飲んでもいいかしら?」とユキは僕のピナ・コラーダを指さして言った。「いいよ」と僕は言って、グラスを取り替えた。ユキはそのストローで二センチほどピナ・コラーダを飲んだ。「美味しい」と彼女は言った。「昨日のバーとは少し味が違うような気がする。


 僕はウェイターを呼んでもう一杯ピナ・コラーダを頼んだ。そしてそれをまるごとユキに与えた。「全部飲んでいい」と僕は言った。「毎晩僕に付き合っていたら、一週間で君は日本でいちばんピナ・コラーダに詳しい中学生になれるよ


この本を読むとピナ・コラーダが飲みたくなる。でもバーに出かけるのもめんどくさいので、毎回レシピを調べて、レシピも面倒なので諦める。
そんなことの繰り返しだ。



しかし、無職の今、どうせヒマなんだから、「ピナ・コラーダぽいもの」を飲んでやろう、とラム、パイナップルジュース、パイナップル、ココナッツ缶を買ってきてブレンダーで混ぜた。
そして「ピナ・コラーダぽいもの」をベランダで飲みながら、ダンス・ダンス・ダンスを読んだ。


うん、これでやっと「ダンス・ダンス・ダンスを読んではピナ・コラーダが飲みたくなる欲求」を叶えられた。
さあ、これで「やし酒飲み」のやし酒への欲望も、少しは親身に考えられるだろうか。


しかし、見出しを見るにつけ、この先のやし酒飲みの冒険はいよいよ大変なことになるようだ。

  • いかに小さくとも選ばれる資格はある
  • 赤い町の赤い住民とわたしたち
  • ゾッとするような、袋の中の生物と触れあうときの恐ろしさ
  • 「飢えた生物」の腹の中の夫婦
  • 一個の卵が全世界を養った


いったい、私はどんな顔でこの物語を読み進め、読み終わるのだろう。
どこに連れ去られてしまうんだろう。アフリカ人てどんなことを考えているんだろう。
村上春樹の小説とは別次元の不条理やファンタジーが、「こんなこと常識だろう」と言わんばかりの堂々たる調子で書かれている。


甘くて夏の味がするピナ・コラーダぽいものを飲みながら、本を読んで途方に暮れるのもまあ、いいか。
都会的な「ダンス・ダンス・ダンス」を読み終わったら、いよいよ「やし酒飲み」の続きに取りかかろう。