そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

耳をすませば

昔、川と線路に挟まれた田舎町に住んでいた。
山より高いものはなかったし、新しくできたスーパーの看板くらいしか夜通し光るものもなかった。
終電が終わると、昼間は聞こえなかった川の音がゴーゴーと鳴り響いた。
あんなに大きな音なのに、昼間はまるで意識していないのが不思議だった。

冬の朝の藤野駅


朝になると遠くから踏切の音が流れてきて、始発の電車が走ってくる。でもそれではまだ目覚めない。
もう少しすると小さな郵便局の隣の家が飼う雄鶏が高らかに鳴く。
本当に鶏は朝を告げ、コケコッコーと鳴くのだな、とあの町に引っ越して驚いた。
電車が動き出し、人々が起き出すと、ゴーゴーと鳴る川の音が聞こえなくなる。
日が高く登ると、近所の紡績工場が日がなガシャンガシャンと機械で機を織る音がする。


そんな町だった。
引っ越してきた人は皆、最初は電車の音に驚いて、こんなに電車が通るんじゃ眠れないのでは、と言う。
でもみんなすぐに慣れる。慣れて「妙に静かだな」と思った夜中に「ああ、もう終電はすぎているのか」と気がつくくらいになるのだ。
そして夜じゅう川の音を聞く。

阿武隈川。水量の豊かさに驚いた。


今、住んでいる家は小さな川のほとりだ。川の向こうは公園で、川を渡る橋は子どもたちの通学路。
いつも川の流れる音がして、時々夜中に鴨が大声で何かを主張している。
うちに点検に来たガス屋さんは驚いた顔をして「川の音がずっとするんですね!なんだか雨が降っているみたいな音ですね」と言ったし、遊びにきた友人も「本当に雨の日みたいな音がするね」と言った。
私はこの音が好きだからあまり気にならない。


まだ豊洲市場が出来る前、水産輸入関係の仕事についていた友人に築地市場に連れて行ってもらったことがある。朝3時半くらいには場内に入ろうというので、築地のビジネスホテルに二人で泊まった。

東京の夜は夜通し車が行き交う


それで初めて「東京の夜というのはこんなにもずっとうるさいのか」と驚いた。川の流れのようにゴーゴーと車が行き交い、その中に頻繁に消防車やパトカーのサイレンが交ざる。
そういえば、いつか見たNHKの新日本風土記の新橋の回でも新橋に住む人が「最初は東京の夜のうるささに驚いた」と言っていた。
でもみんなもう慣れているんだろう。むしろ静かだと怖くなったりするんだろう。

朝の水田


先日、仙台に遊びに行き、友人鮭太郎に県南の町へ連れて行ってもらった。5月中旬だから、田植えが終わっていたり田植え中だったり、水の張られた田んぼがどこまでも続いていた。
鮭太郎は慣れているのか目ざとくて、「ほら、あそこに猿がいるよ」「白鷺がいるよ」「あそこで鳥が鳴いてるよ」と教えてくれるが、私の目がなかなかついていかない。
更には「蛙が鳴いてるね、田んぼに水が入ったからね」と言うが、私には蛙の声がまったく聞き取れなかった。


しばらく静かにして、耳をすましてやっと聞こえるようになってくる。
これが蛙の鳴き声なのか。少し低いその声は、簡単に風の音なんかに紛れてしまう。
なんだか初めて聞くような気がした。そして、耳をすませて、やっと慣れてきたのか、だんだんと蛙の声も大きく聞こえるようになったし、遠くを走り去る新幹線の音も聞こえるようになった。



猿も鳥も見つけられ、蛙の鳴き声も聞き取れる鮭太郎は四つ葉のクローバーを見つけるのも上手で、散歩中にすぐに「あ!四つ葉!」「あ!またあった!」と次々と四つ葉のクローバーを見つけてくれる。
「この辺あるんじゃない?」と言われてやっと私も一つだけ、自分で四つ葉のクローバーを見つけることができた。
鮭太郎が見つけてくれた分と自分で見つけた分のクローバーを摘んで、小学生の時以来の押し花にした。


あの押し花はこれから栞にするつもりだけど、今もう一度仙台に行っても、私はまた蛙の鳴き声が聞き取れなくなっていて、猿も鷺も見つけられなくなっているんだろうな、と思う。
猫のお腹に耳を押し当てて、ゴロゴロと言う声を聞きながら「なんとなく蛙の鳴き声に似ているな」と思うけど、もうあの鳴き声をきちんと思い出せなくなっている。


周波数を蛙の声に合わせて生きていけたらいいのに、とちょっと思う。
四つ葉のクローバーをすぐに見つけられる目をもって。