そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

たゆたう

昨日はチェッカーズのファイナルツアー劇場版を見てきて、本当に幸せだった。
おかげで今日もまだ興奮冷めやらず、なんだかふわふわとした心持ちで一日が過ぎてしまった。


昔、職場にいたジャニーズファンのアルバイトの女の子がKinKi Kidsのコンサートに行った後、数日ぽわーんとして、時折「ほう…」とため息をついていた姿を思い出した。
夢見がちな乙女なのねえ、と思ったが、今まさに私はあの時の彼女と同じ状態だ。

シャガが咲き誇る季節。花言葉は「反抗」だって。硬派だな。


そして、子育て中の知人が、帰りの電車の中で熱っぽく語っていたことも思い出した。
「子供の時間ってすごく濃密だから、一日でも大人の三日分くらいあるような感じなの。その時間を一緒に過ごしていると、ものすごく長い時間を私と子供だけで過ごしているような気持ちがする。誰か大人と話がしたい、って思う」


よく、ワンオペ育児なんてことが話題になるが、そんなにも閉ざされた世界なんだな、と驚いた。子供がいるから、孤独と呼ぶのとは違うし、きっといろいろ大変で静かではないだろう。楽しいこともたくさんあるし、子供がいて幸福を感じたりもするだろう。
でも想像するとものすごく静かで閉ざされた部屋の中で子供と二人または三人で社会から隔離されているような、そんなイメージが頭に浮かんだ。

天竜峡


無職の今、好きなことを好きにしてゆっくり休むことができているので、こんなに幸せなことはない。
でも、こんな風に心がふわふわとしてしまう時に、「仕事で無理やり地上に戻される」という力がないと、ずっとふわふわと飛んでいってしまいそうで少し怖くなる。
「社会への留め金」がないことの嬉しさと恐ろしさ。


時間や曜日の感覚がズレて、だんだん「働いている大人」と話ができなくなってしまうのではないか、と考えたりもする。
それで、あの知人の言葉を思い出したりもしている。
たった1ヶ月、休んでいるだけなのに。


過去のこと、忘れていた思い出、好きだった気持ち、いろんなことがとめどなく溢れてふわふわとして、まさに夢見る夢子、思春期の少女に戻ってしまったみたい。昨日のチェッカーズをきっかけに。


ずっとこうしてふわふわと、たゆたっていたいような気持ちもしているが、さきほど「現実の猫」が目の覚めるような臭いうんこをしたところだ。
現実へ戻してくれてありがとな、猫よ。

愛とはオレたちと遊ぶこと。そしてうんこを片付けること。