四半世紀の仲
昔、「抱きしめたい」というドラマがあった。いわゆるトレンディドラマだと思う。
浅野温子と浅野ゆう子のW浅野主演で、二人は幼なじみ。
何かにつけて「私たちは四半世紀の仲だもんねー」と言うようなセリフが出てきた。
当時小学生だった私は、あのドラマで「四半世紀」という言葉を知ったのだ。
そして、ぼんやりと「大人になってもこんなに仲良しな友達がいるっていいなあ」と思った。
今日は、お友達のかえる姉さんと会ってきた。コロナ禍だし、あの人も更年期で引きこもっていたりもして、もう1年以上会っていなかった。
でも、若い頃に職場で出会った「四半世紀の仲」だ。
あの頃の職場で社会人として育てられた私たちは、やっぱり仕事に対する考え方が同じで、職業柄、先回りしてあれこれいろんな可能性を考えていくタイプ。
「考え過ぎって言われるんだよね」「みんなそんなに真面目にやってないですよ、って言われるけどさ、考えちゃうんだよね」「我々真面目すぎるんだね」「あそこで育ったしね」と、あれこれ話して、本当にこの人と私、同じだなあ、としみじみする。
日曜日の午前中、激混みのコメダ珈琲で「なんで突然仙台なの」と何度も言われたけど、自分でも全然わからない。この街が好きで、かえる姉さんも好きで、別に出ていかなきゃいけない理由もないのになんで私、出ていくんだろう。
「すぐ帰ってきてよ」って言われて、ちょっと嬉しさも感じながら「泣きながら帰ってくるかもよ」と返事をするけど、この先がどうなるかなんてわからない。帰ってくるのか来ないのか、行ったことを後悔するのか、夢中で過ごすのか。
仙台の友人もまた、この街で、かえる姉さんと同じ職場で出会った「四半世紀の仲」だ。
子供の頃、四半世紀が25年と知っても「そんなに長い間友達なんだ、すごーーーい」と思っていたけど、大人になったらなんだかんだ、あっという間に四半世紀を過ぎている。四半世紀続いた友達もいる、続かなかった友達もいる。
ちょっとずつみんな年も取るし、更年期だし、親の介護だなんだのいろいろある。
だけど、付き合いが長くて思い出がたくさんある分、いつまでも出会った頃みたいな、20代みたいな気持ちでおしゃべりをして、そして私は20代みたいな無茶をしようとしている。
若いような気持ちで、でも更年期だ終活だって話もして、亡くなった人の話もして、着実に年をとっている。
出会った頃のことを鮮明に覚えてもいる。
なんて不思議なことなんだろう、四半世紀の仲。