そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

やさしくされると

若かりし日は電車に乗ると日課のように痴漢に遭った。大人しそうな顔に見えたんだろう。だが、中身はわりと猛獣なのよ。
ドスを聞かせて「なんなの???」くらいのことは言う。勇ましい気持ちで戦いに挑む。

我が家の猛獣。


そんなある日、「あ、痴漢だ、文句言ってやろう」と戦闘能力を上げていた矢先に、近くにいたおじさんが痴漢に「何やってんだ!やめなさい!」と怒ってくれた。
その瞬間、私の戦闘能力は一気に消えてなくなり、めためたと膝から崩折れて泣き出しそうになってしまった。
震える声で「ありがとうございます」とおじさんに告げた私はか弱く見えただろう。


本当は別にか弱くなんかない。でも優しくされたら弱くなる。一人でいたら意地を張って強がっていられるのに。


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この記事ではないのだけれど、中国語を習い始めた頃、どこかで「中国人は親しい間柄ほど、ありがとうを言わない。それは他人行儀だ。家族や友人というのは迷惑をかけあうものなのだ」という文章を読んだことがある。
この「家族や友人は迷惑をかけあうものだ」という感覚がちょっと羨ましかった。


「人に迷惑をかけてはいけない」「自分のことは自分で」「親しき仲にも礼儀あり」「自己責任」という日本の文化ももちろんいいものだ。ずっと自分でもそうしてきたつもりだし、心がけてもきた。
だけど、「家族や友人なんて迷惑をかけあって当然じゃないの」ってあっけらかんと笑う文化も温かくていいものだなあ、と思う。

上海 外灘の遊覧船


引っ越しに向けてあれこれ頑張っているが、どうしても自分ではどうにもならないことは弟に手伝いを依頼している。弟が「神か」と思うほど快く引き受けてくれるので、ほっとした私は嬉しいやら自分が情けないやら申し訳ないやらで、一人でわんわん泣いたりしている。


優しくされると弱くなる。単純に嬉しいだけならいいのに、負い目も感じながら。
それは私が「迷惑をかけてはいけない文化」で真面目に育ったせいだろう。でもこの先、引っ越しだけじゃなくて、老いたり、病気になったりで人に頼って人に迷惑をかけなければ生きていけなくなるのだ。



そういう時、「迷惑をかけあって当然じゃないの」という感覚でいられたら少しは楽だろうな、と思う。
私はきっと今、「人に迷惑をかけ、人に頼り、その分自分も迷惑をかけられたり、頼られたりする」ということの練習をしているんだろう、と思う。


仙台の友人にも、さんざん助けてもらっている気でいたが、「あなたは本当に人に頼らない人だからねえ」と呆れたように言われた。
そしてやっぱり、嬉しくて、どこかで情けなくて、あとで号泣してしまった。


やさしくされて困るのもうやめよう。中国人スタイルでいきたい。