そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

お前を食べるため


グリム童話赤ずきん赤ずきんがおばあさんをお見舞いに行くと、おばあさんに変装した狼がベッドに横たわっている。

「おばあさんの耳は大きいのね。」
赤ずきんちゃんが聞くと、おばあさんに化けたオオカミは、言いました。
「お前の声を聞くためさ。」
「目も大きいのね。」
「お前をよく見るためさ。」
「どうして口がそんなに大きいの。」
「それはお前を食べるためさ。」


とても有名なシーンだが、よくよく考えると狼はなんと努力家なのだろうと感心する。食料を効率よく手に入れるために知恵を働かせ、変装までしているのだ。ここまでするのは「飢えているから」だけではない。余裕のあるうちに計画をし、言葉を学び、知恵を働かせて狩りを実行しているのだ。食べるため、そして生きるために。



さて、昨日私は仙台市科学館へ行ってきた。狙いはきのこ展だ。郵便受けに投函されるタウン誌できのこ展の開催を知ってから1ヶ月ほどずっと楽しみにしていた。
以前に、国立科学博物館筑波実験植物園のきのこ展には行ったことがある。広い植物園の中をあちこち歩きまわってサラっと見たような印象だ。
だが、この仙台のきのこ展はそれとはまったく違うものだった。



エントランス入ってすぐの場所できのこ展は無料開催されており、しかも大盛況で、列に並んで入場するほどだ。地元のテレビ局も来ていた。
仙台という街と同じようにコンパクトにまとまった展示会場には、「仙台きのこ同好会」という腕章をつけた人々がたくさん立っている。
仙台きのこ同好会…。そんな会があるのか。うっかり入会してしまいそうだ。

同好会の方々が撮ったきのこの写真も美しい


何より驚くのは、この会場に訪れる人々のきのこに対する情熱だ。
おばさま方があちこちでしきりに話している。
「これは食べられるの?」
「ほら、これこないだ○○さんが採ってきてくれたやつ」
「ショウロねえ。あそこの浜の松のとこに昔はよく生えてた」
「ああ、これはやっぱり食べられないキノコだったのねえ」


その熱意にきのこ同好会の方々も真剣に答えている。
「レンジでチンして乾燥させたやつを来年、新しくとれたきのこと一緒に炊き込むと抜群にうまい」
「天然の舞茸は、養殖物とは香りがまるで違う。天然と言いながら養殖物に土だけつけて売ってる店もある」
「このきのこはやくらいさんに行けば今頃たくさん売っているだろう」


おばさま方も「あらー、これから”やくらいさん”行ってこようかしらー」なんて言っているので、”やくらいさん”とは何かこっそり調べた。
おそらく道の駅的なものだろう。きのこが主力らしい。


www.pref.miyagi.jp



こういった熱量の高い会話があちこちで繰り広げられている。私はその、きのこに対する人々の情熱に圧倒された。
そうか、みんな食べるつもりなんだな。そのへんのきのこを。
自分で採るなり、地元のきのこを買うなりして食べるためにこんなに熱心なんだな。



そういったニーズに応えるためか、案内プレートも食べられるきのこは最後にメニューがあれこれ書いてある。しかもこの展示、きのこに触ってもいいのだ。素晴らしいな。



林などでたまに見かけて背筋がぞわっとしたことのある、このきのこは皮を剥いて薄くスライスしてソテーしたりして食べられるらしい。そんなじゃがいもかカンパーニュみたいなものだったのか、と驚いた。


関東の展示では普通のきのこより毒きのこの方がみんな面白がって見ていたが、こちらではそんなこともない。
「ええ?このきのこ毒なの?食べられるでしょう?」
「ほら、前に老人ホームで!あの事故があってから毒キノコにされちゃったのよー」
などと、毒キノコに関しても「面白い、面白くない」ではなく「食べられる、食べられない」という判断だ。
同じきのこでも体調によってあたってしまうことがあったり、食べ合わせによってダメだったり、ということをみんな知っているのだな。食べるために。



ウラベニホテイシメジ。軸の部分が魚肉ソーセージみたいに太くて立派で、聖火の如く掲げたくなる。
案内プレートによると「宮城では人気があるが、苦味が強く、味というより歯切れの良さを楽しむきのこ」とのこと。なるほどなー。どんなきのこが好きかという地域性もあるんだな。そして九州沖縄が苦味のつよいゴーヤを好む如く、苦味の強いきのこが好まれる地域もあるのだな。勉強になる。


会場は、入り口から養殖きのこ、冬虫夏草、食べられるきのこ、毒きのこ、可食不明のきのこ、と展示されているが、可食不明のきのこについてもどこかで誰かがチャレンジしている様子が伺える。



ナギナタタケ。味が悪いので食不適とのこと。
そうだよな、毒きのこにしたって、誰かが食べてみないことにはそれが毒だかどうだかわからなかったのだ。食べて美味しいきのこもあれば毒もあり、そして不味いきのこもあれば、「別にわざわざ食べなくてもいい」というきのこもあるだろう。先人がチャレンジしたおかげで今日まできのこが食べられてきているのだ。



脳みそのような養殖なめこ。私がこっちに来て「なんてデカいなめこなんだ!」と驚き「野生のなめこ」と呼んでいたなめこは養殖なめこだったのだな。



本当の野生のなめこはこんな感じらしい。みたらし団子みたい。


きのこを一通り堪能した後は、東北大学の教授の方によるきのこの講演会があった。題して「きのこの放射能汚染」
切実なテーマだ。そしてこの講演会も大盛況で驚く。
関東にいたら、きのこは買うもので「そのへんのきのこを食べるなんてあり得ない」と思っていたが、ここらの人は食べるためにきのこを真剣に観察し、学び、経験を伝えて生きているのだな。



きのこ鑑定コーナーもあり、帰りがけに見たら、きのこを持ち込んで鑑定を受けている人がいた。すごいな。
「きのこって面白いよね」とか「かわいいよね」とかじゃない。「遊びじゃないんだ、食べるためだ」という情熱を感じたきのこ展であった。