そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

風に吹かれて



海が近いというのもあるのだろうか。
仙台は常に風が吹いている街という印象だ。
実際、家を決めるときに不動産屋さんにも言われた。不動産屋のお姉さんは山形から来た人で、「仙台は雪は降らないけど、風が強くて、寒いというか痛いって感じです。雪が降ったほうがあったかいんです」と言っていた。
その言葉に私はずっと怯えている。


さて、風がこんなに吹いているならやることは一つだ。
そう、凧揚げ。



先日出かけた先の公園でもおじいさん達が何人か、凧揚げをしていた。
筒型の凧や連凧
つくづく思うけれど、世のおじいさんたちの中には、対象にものすごい集中力と愛情を注ぐ凝り性の人が結構いる。砂浜で何十年も貝殻を拾い続けるおじいさん、5円玉で姫路城を作るおじいさん、壮麗なボトルシップを作り上げたり、盆栽に夢中だったり、きのこに熱中したり、干潟で蟹を観察し続けていたり。



私はそういうおじいさんたちが大好きだし、尊敬している。そしていつか自分もそうなりたいと思っている。あれこれ目移りする性質なので難しいかもしれないが。
そうだ、私も凧揚げ名人を目指そう、ということで、無職なのをいいことに今週は昼間から家の前の公園で凧揚げをしている。
ちょうどいい風も吹いているのだ。



初めはうまく揚がらず、息を切らせながら走り回っていたが、しばらくして風向きとコツをつかんだら高く揚げることができた。
子供の頃、凧揚げをして、高く上がった凧が風に引っ張られるのが妙に楽しかった覚えがある。冬空の下、立ち止まって、空高く風に引かれる凧をただただ握っていただけだったのに。


あの引っ張られる感覚が忘れられなくて、なにかにつけて凧揚げしたいな、と思ってきた。
友人タキコとこどもの国へ行った10年前も。山友達のおじいさんと昭和記念公園に行った3年前も、そして「ハチミツとクローバー」を会社で回し読みしていた20年くらい前も。



森田さんの言う、「空の上で誰かに引っ張られている」感覚、すごくわかる。高く揚がった凧に満足しながら、でもカツオの一本釣りのように一生懸命糸を引いて手繰り寄せる。自分では太刀打ち出来ないような上空の気流が怖くて。
風に乗り始めた凧はまるで思春期の子供のように反抗的に「もっと糸を伸ばせ」「遠くに行かせてくれ」と要求してくるし、風を失えば「糸の切れた凧」という慣用句のようにふらふらとさまよったり、真っ逆さまに地面に落下したりする。



仙台の空は、ここに来て3ヶ月経つ今でもまだ驚くほどに広くて、雲がすごい速さで流れていく。
その中を凧は熱帯魚のようにひらひらと泳ぐ。
時折子どもたちに話しかけられて、答えつつも「通報されたらどうしよう」と怯えたりする。昨今では子供と挨拶を交わしただけで「不審な女が」とか言われるもんな。警察が来て「仕事は?」と聞かれたら「転職活動中」という答えで納得してもらえるのだろうか。
答えは風の中。


今日も今日とて、無職をいいことに凧揚げをしてきた。今日は連凧だ。連凧ゲイラカイトよりも難しい。
でもだんだん風向きも読めるようになってきた。
そのうちユパ様に言われたい。
「良い風使いになったな」とか「それにしてもよく風を読む」とか。



おかげさまで明日からは3件の面接が控えている。
仕事はうまく決まるだろうか。答えは風の中。
そして心置きなく凧揚げに熱中して凧揚げ名人になれるだろうか。
答えはいつも風の中。