そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

具だくさん

この時期、スーパーに行くと受付カウンター脇に、どーんとデカい鍋や鉄板や炭が置かれ「○月○日○○様」などと書かれていたりする。
芋煮会用に鍋やら食材やらを予約した人のために準備されているのだ。
初めてそれらを見たときには大変驚いた。なにせ、特に案内もなくいきなりそこに置かれているのだ。
「なんで?なんでなの?どこに芋煮の予約できますって書いてあるの?」と困惑する私に、地元民鮭太郎はこともなげに言った。
「毎年のことだし、芋煮セットの貸出なんて当たり前すぎるので、特に案内もないのでは?」


…そうなんだ。当たり前なんだ…。
秋になったらみんなで芋煮をやるのが当たり前で、その際はスーパーで鍋やらなにやら貸し出すのは当たり前のことなんだね、この東北の地では…。



生協では一応案内チラシもあって、大変安心した。


ヤマザワという山形本拠地のスーパーで、やっと芋煮の案内チラシを見つけたときも大変安心した。


芋煮には上記の通り、山形風と宮城風があり、山形風は牛肉で醤油ベース、宮城風は豚肉でいわゆる豚汁らしい。
この時期のスーパーの里芋コーナーには、宮城風芋煮と山形風芋煮、2種類のレシピまで置いてある。異文化交流的なやつか。


「そもそもの芋煮の発祥が山形であり、宮城には遅れて入ってきた、宮城は豚汁」とは宮城県民鮭太郎の言葉だ。
その言葉を裏付けるかのように、先日立ち寄った道の駅では新米と豚汁を振る舞うイベントをやっていた。このあれこれ値上がり著しい時期になんと剛毅なことよ。さすが生産地だな、と驚きながら豚汁を飲んで、ふと思い出したことがあった。



懐かしのNHKドラマ「あまちゃん
あの中で、東日本大震災が起こった日、東京の稽古場で地震がおさまったあと、普段はまめぶ汁を作る安倍ちゃんが豚汁を作る。それを見てしおりちゃんが言ったのだ。
「いや、豚汁の方が好きなんだけどね。でも何か今はまめぶ食べて文句言いたかった。」

松岡茉優ちゃん、根性入ってて好き。


あの言葉でなんだかはっとしたのだけれど、豚汁は普通の食事でもあり、非常時の食事でもある。
2019年の台風19号の時は、台風が来る前にご飯を炊いておにぎりにして、豚汁も作っておいた。炊き出しなんかでも大体豚汁だ。
なんで、災害時って豚汁なんだろうねえ、としみじみ鮭太郎に尋ねたら「具だくさんだからじゃない?」とあっさり言われた。
確かに。おかずと汁物を兼ねるし、温かいもの食べるとなんだか気持ちが落ち着くもんな。


「でもさあ、けんちん汁じゃなくて豚汁なんだよねえ」と言うと、鮭太郎の頭にはけんちん汁という存在すらなかったようだった。それでついつい「そういえば豚汁とけんちん汁の違いはなんだったかな」と調べた。

けんちん汁 - Wikipedia

  • ポピュラーな具材として大根・にんじん・ゴボウ・里芋・蒟蒻・豆腐を胡麻油で炒め、出汁を加えて煮込み、最後に醤油で味を調えたすまし汁である。
  • 元来は精進料理なので肉や魚は加えず、出汁も鰹節や煮干ではなく、昆布や椎茸から取ったものを用いた。
  • 神奈川県鎌倉市にある建長寺の修行僧が作っていたため、「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったといわれる説がある[


建長寺が由来の精進料理だったのか!
今まで豚汁との違いをあまり理解してこなかったが、たしかに醤油ベースで、肉は入っていなかった気がする。
神奈川県民だったせいか、小学校の給食にけんちん汁はよく出てきた印象があるが、宮城県民の鮭太郎は給食にけんちん汁は出なかったそうだ。
そうだったのか。いくら具だくさんでも精進料理で肉が入っていないとなると、たしかに災害時にはちょっと物足りなさそうだ。不安でいっぱいの災害時に肉も入っていない汁物じゃ元気なんか出ないもんな、そりゃあ、豚汁になるよな。


それにしても建長寺が由来だったとはなあ。
それで神奈川県民の誇りをもって、昨日はけんちん汁を作った。豚汁と迷ったのだけれど、やめておいた。


だって明日は芋煮会だから!
河原で石を積んでかまどを作り、具だくさんの肉入り汁物を作ってみんなで食べるパーティーだからな!
スーパーで鍋を借りたわけじゃなく、現地で鍋やら食材を用意してくれるタイプの芋煮。


尚、この「手ぶらで芋煮」は宮城県発祥らしい。
つくづく人々の「芋煮にかける情熱」に驚かされるわ。

芋煮会 - Wikipedia

東北各地から人が集まる仙台圏の人口は、戦前は50万人に満たなかったが、当時は70万人を超えて毎年人口増加が激しくなり、仙台市電(1976年廃止)等で容易にアクセスできる広瀬川河川敷で芋煮会を行うには場所取りが非常に困難になり奥羽山脈に近い国鉄(現・JR東日本仙山線奥新川駅(仙台駅から約1時間)周辺のような山奥にまで遠征して芋煮会をするような状態になった。そんな中、宮城県宮城郡宮城町(現・同県仙台市青葉区)の国鉄仙山線愛子駅(仙台駅から約30分)近くにあった「河鹿荘」が、付近の広瀬川の河原を芋煮会場として提供開始した。より仙台市都心部に近い愛子駅から徒歩圏にて私企業が、食材等を準備し、参加者の手間を軽減した「手ブラで芋煮会」を商品開発したことは、従前の芋煮会の常識を覆した。すると仙台圏では、河原に限らず敷地内での「手ブラで芋煮会」のパッケージ商品を温泉旅館やレジャー施設も販売するようになり、マイカーのモータリゼーション進展と送迎バスのサービスもあって、鉄道駅周辺の芋煮会場を次第に凌駕して広まっていった。


そのうち私もこの情熱に追いつけるだろうか。
戦後、肉がない時代はイカで乗り切ってまで芋煮をしたという、その情熱に。


あー、でも楽しみー。