そういえば

帰ってきたおばあさん。

木の芽どき

なんだかここ最近、変に疲れている感じ…おかしいなあ、と考えてハタと思い当たった。
ああ、そうか、木の芽どきなのか。


木の芽どきが実際にいつかと言うと、「立春から春分まで」と書かれていたり「3月から4月」と書かれていたりでまちまちだけれど、とにもかくにも春先は精神的にバランスを崩しやすい時期なのだそうだ。
寒暖差で自律神経やホルモンがやられるらしい。


なるほど。理由がわかると少し安心する。


ここ最近、老眼も進んで文字が読みづらくなったり、白髪染めを買ったり、あれこれと老いも痛感している。
その上木の芽どきで、ただただ疲弊している。
そんな時の「友」は尾崎放哉だ。


自由律俳句は短いので、字がデカい。老眼にも優しい。
そして尾崎放哉の句はなんだか、「川べりで石を投げたり鼻歌歌ったり自由にしながらそばにいてくれる友人」みたいな風情があるのだ。
ぽつりぽつりと意味のないことを二言三言しゃべって、ただ横にいるだけの友。

◆鼠にジャガ芋をたべられて寝て居た


◆迷つてきたまんまの犬で居る


◆漬物石がころがつて居た家を借りることにする


こっちも川べりで、膝を抱えながら気まぐれに「うん」とか「そうなんだ」とか言うだけでいい距離感。

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箱根

◆墓のうらに廻る


◆茸の毒に死絶えし家のあるあはれ


◆月夜の葦が折れとる


時々気弱で、病弱で、孤独で寂しがりやで、あまりやる気がない。きれいなものは好き。
変なところばかり見てる。でもそんな彼の見ている景色が鮮明に浮かんだりする。


猫じゃらしなんか噛みしだきながら、夕方の川べりでなんだかんだそばにいてくれる友達みたいだから、句集をぱらぱらとめくると少し気持ちがすっきりするんだ。
少し疲れて気が滅入るような木の芽どきでも。