他所様の玄関先にモッコウバラが咲き誇っているのを見かけて嬉しくなった。モッコウバラってこう、惜しみなくじゃんじゃん咲くところがいい。ああ、春から初夏になっていくなあ、としみじみする。
そんな風に季節がどんどん移ろい、暖かくなるので、我が家のぬか床も最近急激に元気を取り戻している。
冬の間、しーーーんと穏やかにじっとしていたのが目覚めたようだ。
我が家は年間を通してぬか床は流しの下で常温管理だ。ここから夏の終わりまではぬか床の手入れはサボれないな。今日も蓋をあけたら、コポっと水を出していたところだった。
おお、おお、陽気だな。
蕪も1日で漬け上がる元気さだ。冬だったら3日くらいかかったのに。
もう少ししたら、実山椒も買ってこよう。そしてぬか床に入れるのだ。冬の間に蓄えた柚子の皮もまだ残っている。
これから野菜が豊富になる季節だから、楽しみだな、と思いながら手入れをしているが、ぬか床をかき混ぜる時によく思い出すことがある。
「酢豆腐」という古典落語だ。
長屋の連中が昼下がりから集まって一杯やろうという話になっている。酒はあるが肴がない。金もない。それでああだこうだと話し合うのだが、その中にこんな下りが出てくる。
台所行ってみねえ。板上げるんだ。下見るってぇとぬかみそ桶あらぁな。中へずーーーーっと深く手ぇつっこんで一つぐるっとこうかき回してみねえ。
忘れっちまったような古漬けなんてぇな、必ず二ッつや三ッつあるもんだよ?
こいつを引っ張り出してきてよーく洗ってよ、薄刃でもってトントントントントーンと細かに刻んでな?そのまんまだってぇと臭っていけねえから、こいつをいったん水に泳がせるてヤツだな?
しばらくたったら、布巾にあけてそこへ生姜を微塵に刻んで、な?
えー、それからなんだい、茗荷だ!こいつを薄く刻んで一緒に混ぜてキュッと絞って、上から鰹節をぱらぱらっとかけてよ、下地をちょいっと垂らして、もし良かったら七味かなんかこうかけてみな?え?オツな酒の肴になるよなあ?かくやのこうこってのはどうだい?
まああ、あなた、なんて美味しそうなんでしょうね。素晴らしいじゃない、古漬けに茗荷と生姜ってそんなの絶対美味しいやつじゃない、と私は思う。
けれど落語の続きでは長屋の連中がみんなぬか床に手をつっこむことを嫌がるのだ。やれ「先祖の遺言でそれだけはいけないと言われている」「ぬか床だけはどうも恐ろしくて鳥肌がたつ」「お金を積まれても断る」などと。
挙げ句の果てにはこうだ。
世の中にあんなドジで間抜けなものはない。
一旦手をつっこんだら最後、いくら洗ったってぬちゃぬちゃぬちゃぬちゃしやがって臭いはとれねえしよ、爪の間に黄色い糠が詰まってるなんてのはあんまりいい若いモンがするこっちゃねえや、ごめんこうむりやしょう!
ひどいじゃない…。何もそこまで嫌がるようなこと?中に入っているぬか漬けは美味しく食べるのに、ぬか床はそんなにも忌み嫌われるのか…。
大体、「ドジで間抜け」って言いますけどね。
ドジという言葉自体「鈍遅」から来ており「間の抜けた失敗をすること」ですよ。「ドジで間抜け」なんて「間抜けで間抜け」と同じですよ。
そして「間抜け」の意味は「考えや行動に抜かりがあって愚鈍な様」ですって。
「鈍遅」とか「愚鈍」とか言うけど、いったい、ぬか漬けにどんなスピード感や効率を求めているんだ!
ドジでのろまな亀だって、ドジで間抜けだっていいじゃないの、ぬか漬けなんだから。
冬よりも春から夏にかけて元気になったぬか床の方が臭いが強くなる。
これからの季節、かきまぜるたびにあの落語を思い出して「ひどいわね」とまた憤ったり、「おおう!今日は結構臭いがキツいから、長屋のみんなが嫌がっても仕方ないな」と思ったりするだろう。
そんな時は塩を足して、辛子も足せばいいんだよ、長屋のみんな。