そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

花は咲く

今朝テレビをつけたらNHKの「ドキュメント72時間」が再放送していた。

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震災から11年たった春、宮城県名取市にある生花店での72時間。
最後の部分しか見れなかったけれど、生花店で頻繁に花を買うというおばあさんの言葉が胸に刺さった。
「震災で夫を亡くした。10年経ってようやく思い出せるようになった。これまで考えないようにしてきた。今は花を育てるのが楽しみ。お菓子よりも安い1鉢88円くらいのビオラやパンジー。弱って、もうダメかと思っても持ち直す生命力、そういうものに元気をもらっている」

三渓園 ロウバイ


7,8年ほど前に、人間ドックの結果が悪くて精密検査をすることになった。先生がちょっと深刻そうな顔で「どうして今までなんの検査もしなかったんですか!」と言うので、ああ、これは死ぬのかと身構えてあれこれ検査を受け、結果を待った。
結果を待っている間ずっと、「もしかしたら余命いくばくかもしれないな」「これから闘病生活だろうか」と毎日のように「死ぬかもしれない」ことを考え、身辺整理などしていた。


結局大きな問題はなく、経過観察することになってほっとした帰り道に盆栽を一つ買った。結果を待つ間に見かけて、いいなと思いつつも「死ぬかもしれないから」と買わずにいた盆栽だ。
それから、盆栽教室に通ったりしてしばらく盆栽にハマったことがある。




あの時、一番生命力に驚いたのは桜だ。
硬い芽がついたまま冬を越し、その芽から一つ花が咲くのだろうかと思っていたら、そんなものじゃない。春になるとその一つの芽が開き始め、ミサイルのごとく花の蕾が3つほど飛び出してくる。あちこちからだ。そしてポップコーンが爆ぜるかのように咲き始める。

完全にこういうやつ。


なんて暴力的な咲き方をするんだ、と思った。薄ピンクの儚げな、すぐ散る花だと思っていたが、その秘めた力のすごさ、「春が来たのだ!」という爆発力、生命力に圧倒された。


思えばあの時、「死」が少し身近だったから植物に惹かれたんだろう。
広島で被爆した祖母は「原爆のあとの広島に夾竹桃の花だけが咲いていた」と言っていた。たくさんの人が亡くなって「100年は人が住めない」と言われたあの広島で、生き残った人と、生き残った花。

その丈夫さ故、高速道路脇にも植えられている夾竹桃


もう引っ越してしまったのだけれど、近所のバス停の前のマンションのおばあさんが毎朝一生懸命花の手入れをしていたのを思い出す。水をやり、花がらを摘み、土を作り、いつも綺麗な花を咲かせていたおばあさん。
きっとあのおばあさんも花の生命力に救われていたんだろうと思う。



死を身近に感じたり、年を重ねたりする中で
「自分以外の生き物が生きていてくれること、その生命力、一緒にいることに救われる」
そういう気持ちを、私もよくわかるようになった。
だから「ドキュメント72時間」に出てきたおばあさんの「お菓子よりも安い値段の鉢」「もうダメかと思うくらい弱っても持ち直す生命力」という言葉にぐっと来た。
値段も弱ってることも関係なく、みんな生きている。生きてくれている。


あの時買った盆栽は、数年後、植え替えに失敗して枯らしてしまった。
死ぬ心配を回避して、忘れて、すこし自分が傲慢になっていたせいもあったと思う。
今は、隣でぐーすか眠る二匹の猫たちの寝息と高い体温にずいぶん救われている。



よく食べ、よく眠り、イタズラをし、知恵をつけ、うんこは臭いし時には吐く。
生きているから。
今日も一緒に生きてくれてどうもありがとう。