またいちから
2月末に引っ越しをして、それから怒涛の日々であった。
リフォーム代に数百万、電気工事とエアコン設置に数十万、引っ越しに十万ちょっと、ガス工事に数万、そして家具家財…と毎日飛ぶようにお金が出ていき、手がガサガサになるほど段ボールを開梱し、どうするああすると考え続け、意地で作業し、やっと!やっと少し!少しだけ!落ち着いて来た。

これは2022年7月に仙台に引っ越した翌日の晩ごはん。
あのときは引っ越しの翌日からすぐ自炊できたのに、今回は4日ほどずっと惣菜やお弁当を買ってくるような生活だった。
不思議なもので、毎日買ってきたものを食べるというのがどうにも性に合わなくて、なんだか疲れてしまう。ダメな生活をしているようで変に傷つく。
家がいつまでも片付かないことにも傷ついて、「3年前ならすぐ片付けて自炊できたのに、これが寄る年波ってことなの?」などと台所で呆然としていた。

しかし、「あれ?サランラップがないじゃん!」「え?みりんがない!?」となった時に私は初めて気づいたのだ。
あ、これは寄る年波でうまくいかないんじゃない、私には一人暮らしのブランクがあるんだ!ということに。
今までだったら引っ越したところで、昨日と今日は続いていて、別の家で同じことをするだけだったし、自分のラップもみりんもサラダ油もあったのだ。
1回実家というインターバルを挟み、自分のラップも油もみりんも実家で使ってしまったから、ないのだ。
私はまた一から一人暮らしを始め、自分のものを揃えないといけないのだ。

「暮らすって物要りね」と嘆くキキのように、オリーブオイルも海苔も、紅茶もマヨネーズも、全部また買い揃えるんだな。
そのことにすごくトキめくほどの若さはなくて、「ああ、そうだったな…。そうだったか…」という気持ち。
そして久々に一人で暮らす家のがらんとした感じにも少し戸惑っていた。
猫はいるものの。

2018年に「猫を飼わないか」と友人から打診されたときに「いや、チャンスがあったらと思ってたよ?嬉しいよ?でも今なの?」という戸惑いが大きかった。
「もしやこれって、子どもができたとわかった時の女子の気持ちかしら」と言ったら友人たちに笑われた。
「ついにわかった?」と。
仙台から帰ってきて、実家で父と暮らし始め、少し暮らしが馴染んだ頃、私が夕飯にうどんを用意していたにも関わらず、父が「中華屋の前を通ったらどうしても食べたくなったから俺は外で食って帰る」と連絡してきたことがある。
なんだか無性にイラッとし、「世の奥様方が離婚ポイントを貯めていくのはこういう瞬間なのでは」と同僚に話したら、「ああ!!あるあるだね」と共感された。
父は偏食でトマトやきゅうりが嫌いなので、去年の夏はトマトやきゅうりを食べられなかった。「早く一人暮らしして自分の好きなものを食べたいな」とも思ったし、日々の献立を考えるのもめんどくさいな、とも思っていた。
だがしかし、いざ一人になるとなんだか寂しいのだ。そして自分の生活を自分で整えていくことの億劫さもあるのだ。
「ああ、世の中の人が離婚や同棲解消を思いとどまるのはこういう点もあるのかしら」…と私はまた一つ学んだ。
猫と暮らし、父と暮らすことで「他の生き物と暮らす生活」を知った。
でもまたひとりだな、猫はいるけど。

最初の週は父も寂しかったのだろう、「俺、初めてウーバーイーツ頼んでみたから一緒に食べよう」と実家に呼んでくれた。
まだ1週間くらいなのに、実家はもう「別の家」みたいな顔をしていた。
きっと父にとってももう、私の家は「自分の知らない家」なんだろう。
明日はふりかけとハムと梅干しを買おう。
少しずつ、少しずつ、またいちからやっていこう。猫と一緒に。