海を見ていた午後 -横浜山手-
中華街にはしょっちゅう行くし、みなとみらいもときどき行く。大さん橋に船が入る日は見に出かけたり、たまには三渓園まで足を伸ばすこともある。
でも山手の丘の上はもう20年以上行っていなかった。
なにせ延々と細い坂を登るのだ。
このあたりに育った母が懐かしげな顔でずんずん登っていくのを、高校生の私はうらめしく追いかけた。
弟たちは迷路のような坂道にはしゃぎ、はしゃぎすぎて転んで前歯を折った。
強烈な坂、坂の上から見下ろす町並み、遠くの屋根の上に立つマリア像、けだるい午後、そんな思い出ばかりで山手は避けていた。
ところが、みなとみらい線の元町・中華街駅を使えば、坂は登らずにあの丘の上に行けるのだ。今になって初めて知った。
改札を出たらエスカレーターを5階分くらいずっと登る。そして外に出ると、庭園が広がり、そこから外人墓地の脇を通っていけばすぐに港の見える丘公園だ。
便利になったものだ。驚いた。
外人墓地の中は公開されていなかった。
子供の頃、遠足で来て、あとで遠足の思い出に外人墓地を描いたら、クラスの女子達から「お墓を描くなんて信じられない」と怒られたっけ。あれが人生初の「不謹慎狩り」だったな。
見える限りの墓碑銘なんて読んでみる。外国人と結婚した日本人妻の名前だったり、若くして亡くなった者の名だったり。
彼は墓標にしゃがみこんで、結婚についての記述はないかと調べてみた。
「ここには何も書いていないな」
「そりゃあそうよ。『マージェリー・リー』という名前と生年と没年、それより雄弁な言葉が他にあって?」
スコット・フィッツジェラルド「氷の宮殿」
山手のドルフィンからは遠く三浦岬が見えるらしいが、港の見える丘公園からは遠くガンダムが見える。
ガンダムは今メンテナンス中で休業らしい。
花壇や噴水をこえて大佛次郎記念館へ。
大雪が降るかもしれないと大騒ぎだった前日が嘘みたいに穏やかでいい天気だった。
猫が大好きだった大佛次郎。あちこちに猫の置物が置いてある。猫の写真展もやっていた。いいところだ。
帰りはおとなしく坂を下って、元町へ降りた。
坂をのぼってまたひとり来よう、と思えたのは、みなとみらい線のおかげ。
歩く間ずっとユーミンが脳内でけだるげな声「海を見ていた午後」を歌っていたが、この後行った神奈川県民ホールでは、清水ミチコが「ベルベット・イースター」をユーミンの声で歌ってくれて、キュンとした。