そういえば

帰ってきたおばあさん。

カレーなる旅 4 innocent world

昨今では「大人の本気の砂遊び」とか「大人のどろんこ遊び」とか「絵の具まみれになって童心に還る」とか、子供みたいなことをすることで癒される体験が随分増えている。


でもわかる。
小学校高学年の時に学校にどろんこ砂場ができて、みんなで泥まみれになって遊ぶという授業があった。
その時に「どれだけ、思い切って泥まみれになれるか」ということを試されていたような気がする。そして「ある程度年齢が上がっても進んで泥まみれになって無邪気に振る舞える人間こそ素晴らしい」みたいな風潮があの時点ですでに感じ取れた。


もう、そんなこと考えちゃう時点で全然イノセントじゃないのだけれど。

2015年夏 決勝 横浜高校×東海大相模


高校野球を見ていてもそういうところある。
「ユニフォームを真っ黒にして頑張っている姿、美しい」「汗と泥に塗れているから一生懸命」「必死でヘッドスライディングしたから感動」
大人がついつい求めるのはそういう絵面だったりするもんだ。



以前に地元の飲み友達だったまいこちゃんは、ネパールに何度か旅をするうちに感化され、帰国してからネパール料理の店を開いた。
もうその店はなくなってしまったのだけれど、そこで初めて「ダルバート」なる料理を食べた。



なんでもネパールの定食で、ご飯以外ほぼカレー風味のものが給食のお皿のようなものに載っている。
クミンが効いていたり、「外国のご飯」という感じで、すごく美味しい!と思ったわけではないが、妙にハマった。
まいこちゃんのネパール旅行の写真を見せてもらうと、みんな床にあぐらをかいて座り、この給食のお皿を膝に載せて手で食べている。


二度目にダルバートを注文した時にまいこちゃんが言った。
「良かったら手で食べてみてくださいよ。手で食べると、スプーンで食べるよりももっとずっと美味しいんです」
…そうか。そうなのか。そうだよな。現地では手で食べるんだもんな…。


ためらいつつもチャレンジしてみて驚いたことがある。
まずひとつ目は自分の中にあるタブー感。手でご飯を食べる、というだけで「自分は今、いけないことをしている」とつい思ってしまう。ネパールやインドでは当たり前のことが、日本に生まれ、箸が上手く使えないと叱られた自分にとっては大変な禁忌だ。


そしてもうひとつ目が、「手で食べるって難しい」ということだ。子供の頃にはきっと私も手づかみでご飯を食べたりしただろう。
でも今やろうとすると本当に難しい。上手く口に運べずボロボロとこぼれてしまうのだ。
「人差し指と中指に載せて食べたりするといいですよ」とまいこちゃんに言われるが、どうにもうまくできない。口に運ぶ手の角度もあるのだろう。



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最後に、カレーとご飯まみれになった右手をどうすべきか悩み、黙って洗面所に行って手を洗ってきたらまいこちゃんに笑われた。
「みんな、そうやって悩むんです。おしぼりで拭いていいのに!」
そうなのか。しかしどうにも食べ方が下手だし、手をしっかり洗いたい。


まいこちゃんは満面の笑みで言った。
「ね?マオさん、手で食べるほうがずっと美味しいでしょう?」
イノセントな心をすっかり失い、タブー感や食べ方や、食べ終わった手をどうするかにばかり気を取られていた私には、そんな違いはわからなかった。でも「大人の笑顔」で答えたのだ。「ほんとだね!」


あの店がなくなってから、ダルバートを食べる機会も失ったし、あれ以来手でご飯を食べたことがない。
カレーにハマってから、あのダルバートを思い出して、久々に食べたいな、と思っていたところ、近所の不思議なネパール料理屋がダルバートを出していることを知って、行ってみた。



こんな感じの豪華なやつで、お値段も高めだった。
待っている間、お店のネパール人たちがなにやら「ダルバート食べるんだって!あの子!」みたいなことを話している。
そして私に尋ねてきた。
「ニホンジン?」
ええ、日本人。
「ネパールイッタコトアル?ドコデダルバートタベタ」
ネパールに行ったことはない、友達の店で食べた、と伝えたが多分伝わっていない。


そして、スプーンで黙々と食べた。
いつの日かまた、手で食べることにチャレンジしたい。
練習して、上手に食べられるようになったら「手で食べるほうが美味しいね」と思えるようになるんじゃないか。
機会をもらって、練習して、こなせるようにならないと、もう無邪気に楽しむことができなくなっているのだなあ、と思わせるカレー。
失われたイノセントワールド。それが私のダルバート



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