朝から西原理恵子の娘さんの話をネットニュースで読んで愕然とした。
そうか。親が子供のことを世界に向けてあれこれ発信する、ということもそうだし、娘と息子に差をつける、というのも虐待なのか、としみじみした。
そうだったのか。
私は昭和生まれの古い人間なので「それは当たり前で仕方のないこと」だと思っていた。
実父は「野球をさせる人間」が欲しかったから、弟には野球道具をあれこれ買い与え、その時スポーツ用品店でもらったオマケの財布が私のクリスマスプレゼントだった。
両親は離婚して父子家庭だったから、私は弟の野球のために、洗濯やら弁当作りをするのが当然だった。
家庭裁判所での親権争いを経て、私は再婚後の母の下にうつった。
母は笑顔で「ママ友と話しててさー、息子には新しい牛乳出すけど、娘には古い牛乳出しちゃうわよね、ってみんな言ってたわ。母親にとって息子って特別よね」と朗らかに笑っていた。
周りのお母さんたちもそうみたいだったし、私が「ひどいよねえ」と笑いながら周囲に話すと、周りの女子たちも「ああ、うちの親もそう!」「うちなんか、もっとひどくて」というエピソードはいくらでも出てきた。
だからそんなもんかと思っていた。
高校の学費も「バイトして半分出して」と言われたから、高校1年生からずっとアルバイトをしていたし、大学の学費も「私立に行くなら2年までしか出さない」と言われたが、考えてみれば父親違いの弟たちはそんなことは言われていなかった。
でも連れ子だし仕方ないかとも思っていた。
そうだったのか。あれは「仕方のないこと」でも「そういうもん」でもなかったのか。
親、というのはどんな性格でもどんな人間でもその家の中で独裁者になれてしまう。
独裁者になって、暴力をふるうことも精神的におさえつけることも可能だ。
「よその家ではこんなことしない」なんて言おうものなら「よそはよそ!うちはうち!嫌なら出て行け!」と昭和からおなじみの捨て台詞がある。
子供の頃、父親にどれだけ暴力を振るわれようと、その嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。だって家庭というのは一つの国みたいなもので、他所の人間も警察も手出し口出しできないのだ。
絶対に誰も助けてはくれない。死ぬまでは。死んだら初めてニュースになる。
例え死んでも親の刑期なんて本当に軽いもんだ。親の所有物だから仕方ないんだろう。
私が殴られて痣だらけで学校に行こうとも周囲の傍観者たちは優しい笑顔で言うのだ。
「お父さんはあなたのためを思って厳しくしてらっしゃるのね」
「そうは言っても親だから」
なにせ昭和だしな。
完全な人間なんていないから、親に完全性なんて求めていない。
だけど、親自体の育ちが不幸で、コンプレックスが強くて、承認欲求が強くて、認められたかった、自分の言うことを聞いてほしかった、自分の思い通りにしたかった、自由に生きてこられなかった、という場合、その歪みはすべて子供に向くことになるんだな、とつくづく思う。
「自分がしてもらったように育てればいいのよー」なんて平和なエピソードが時折語られるが、いい意味でも悪い意味でも、人は自分がしてもらったように育ててしまうのだ。
多分、私が結婚して子供を持っていたらおなじことをしたんだろう。
子供を産まないなんてこの国を滅ぼすのか、とか、少子化とか言われるけど、もしも不幸の再生産しかできないなら、不幸な人が増えるだけなら、産まなくていいし、勝手に滅びてしまえばいいんだ。
虐待だとか毒親だとか、親関連のニュースや親からの連絡にはいつも胸の中がざわざわとする。
あれこれと思い出して、苦しくなったり、怒りが湧いたり、自分の人生を悲観したりする。
もういい加減そういう気持ちは捨てたい、と何度も思ってきた。
人は簡単に「怒りを手放す」だの「恐れを手放す」「過去の傷を癒やす」「捨ててもいい」だの言うけど、親なんてどうやって捨てればいいんだろうな。
戸籍を分籍したところで住民票がどこまでも追跡してくるというのに。
何より自分の心の中の独裁者の顔をした親が、事あるごとに顔を出して、私を責め苛むものな。
ああ、いやだ、いやだ。