家に帰る理由
あの3月11日の震災の日、電車が止まったので、私は会社で一晩を過ごした。
家族のある人達は夕方から続々と歩いて帰宅を始めたり、深夜やっと動き出した電車に乗って行けるところまで帰ったり、渋滞の中、何時間もかけて家族に迎えにきてもらったりしていた。
あの後、しみじみ考えたのだ。
私には帰る理由がないんだな、と。
何時間もかけて20km歩いて帰るだけの理由。どうしても帰りたいと思う理由。
それは家族とか、何かあったときにすぐにでも会いたい人。身を寄せ合いたい人。心を配る相手。
4年前、猫を家に迎えた時、ああ、私にも帰る理由ができた、と思った。
そして怖くもなった。
もしも会社に行っている時に地震が来たらどうしようか。その時はきっと20km歩くだろう。でも道中、気が気じゃなくて泣くだろう。
まだ子猫だったこともあって、毎日一分一秒でも早く家に帰りたかったし、無事に最寄り駅まで帰ってくると毎日感謝した。「今地震が来ても、帰れる」と思って。
小さかった猫たちはモリモリと食べてあっという間に大きくなった。正直戸惑うほどに大きい。よその猫よりも、下手をしたらよそのトイプードルよりも大きい。
それもそのはずだ。奴らは盗み食いを繰り返してきたのだ。
最初は怒ったが、そのうち慣れた。そして、最終的に少し安心もした。
「私が帰ってこなければこの子達はどうなるのか。なんとしても帰らねば!」と思っていたが、彼らのこの逞しさ、食い意地、サバイバル能力と来たらどうだ。
今朝は4時に目が覚めた。何者かが玄関でガサガサと何かを漁っている。あまりに一心不乱にガサガサバリバリ言うので様子を見に行き、目を疑った。
コロナ禍や戦争もあり、買いだめしたはいいが押し入れにしまいきれず玄関に積んであった猫餌入りのダンボールに直径10センチを超える大きな穴が空いているではないか。
猫たちめ、二匹でこんな穴をあける共同作業をしていたのか。私が寝ている間に。
まるで、吉本ばななの小説「TSUGUMI」で病弱なつぐみが復讐のために極秘で夜な夜な掘り続けた穴のようじゃないか。
本当にそんなことが可能なのか、私にはわからなかった。しかしつぐみはやった。陽子ちゃんが気づいてしまったこと以外、すべてを思い通りにしたのだ。わからない、その緻密さにふちどられた執念のエネルギーが、どこから来て何を目指していたかさっぱりわからなかった。
吉本ばなな「TSUGUMI」
その緻密さにふちどられた執念のエネルギーが、どこから来て何を目指していたか、うちの猫のことなら、私にはわかる。
食欲だ。
それも、いつものお皿に盛られたご飯じゃない、自らの手で勝ち取った「獲物」としての食事だろう。
ここまでの能力があるとは…。
もしかすると私は、またしても「どうしても家に帰らなければならない理由」を失いつつあるのかもしれないな、と思った。
私が少しくらいいなくても、まあ適当にやるだろう。
中旬に一泊で仙台に行く予定だ。猫が来てから初めての一泊旅行なので、少し心配していたが、どうやらこれなら大丈夫そうだ。
いざとなればきっとまた盗み食いするだろう、うちの逞しい猫たちは。
やれやれ。