行儀の悪いことだが、しかし誓って変態ではないが、よその家の洗濯物が割りと気になる性分だ。
プライバシーの侵害と言われればお詫びするよりありません。
すみません。
洗濯物の何に心惹かれるのかと言えば、やはり生活感だが、その生活感は欧米ではひどく嫌われており、「洗濯物を外に干す=スラム街」のような感覚らしい。日本でも最近の高層マンションや新興住宅地などでは、洗濯物は外から見えない所に干すことになっているらしく、人々は生活感の排除にやっきだ。
しかし以前、山に行って驚いたことがある。
山の麓のキャンプ場、さすがゴールデンウィークだけあって、テントがずらっと並び、家族連れで大賑わいだった。
きっと相当お高いんだろうスノーピークのファミリーテントやら、ゲル型おしゃれテントなんかを盛大に張り、アウトドアをエンジョイするご家族を眺めながら林道を歩くうちに、おや?と思った。
写真は撮れなかったが、たくさんのテントの横に洗濯物が干してあった。それも「川遊びでちょっと濡れたから」というレベルではなく、ジーンズからトレーナーから、シャツ、ブラウス、靴下まで。
断っておくが、このキャンプ場に集う人々ときたら、食器を干すためにこのような網まで持参してくる用意周到な方々なのだ。よもや「うっかり濡れちゃって着替えがない」「水着忘れた」なんてことはあるまい。
しかも彼らは一体何日ここにいるのだ。
せいぜいキャンプなんて2泊3日がいいところだろう。それならば何もわざわざ洗濯なんかする必要はないのだ。
みんなが水遊びする川で洗濯なんてできないから、キャンプ場の洗濯機でお金を払ってまで洗濯しているのだろう。
車で来ているんだから着替えくらい余分に積めるはずだ。
にも関わらず、数多のご家庭のテント脇にロープにかけられた洗濯物が干してある。
なぜそんなにも洗濯をするのか…。
ぐるぐると考え続け、ふと思い至った。
あれは先住民アピールなのではないか!
都会では嫌われる生活感を、アウトドアでは逆手にとって、「我々はこの場所でのアウトドアライフに慣れており、長くここにいるのだ」とアピールしているのではないか、マーキングに近いのではないか。あるいは戦闘旗の掲揚か。
そう言えば「大草原の小さな家」でもインガルス一家はすぐ毛布だのなんだの干していたような気がする。
「ハウルの動く城」のソフィーはきれいな湖のほとりで、シーツやら何やら干していた。
人はその場所に落ち着くと、まず洗濯をし、山頂に登頂記念の旗でも立てるかのように洗濯物を干すものなんだろうか。
仙台に引っ越した暁には、私もまずは洗濯物を干そうと思う。
そして「私はここに住まう者だが!」と高らかに宣言したい。