ユーミンは「やさしさに包まれたなら」の中で「目に映るすべてのことはメッセージ」と歌っていた。
そんな風に思える日もあるし、思えない日もある。
さて、引っ越しのどさくさの中で己の愚かさを呪ったことはたくさんある。
台所の食品庫にするつもりで持ってきたスチールラックは今の家の天井の高さに合わなかったし、前の家のカーテンは今度の家では短すぎた。物干し竿もせっかくサカイ引越センターに運んでもらったのに長さが足りなくて鮭太郎にゆずった。
前の入居者が物干し竿を置いていってくれたので、当座はしのげた。前の入居者はきっと用意周到な人で、転居先で必要な物干し竿の長さをちゃんと測っていたんだろう。素晴らしいな。
今度の家はベランダに手すりがなく普通の洗濯ばさみではバスタオルが干せない。そんな所も私はまるで考えていなかった。前の入居者と違って用意周到じゃないのだ。
みんなどうしているのだろうと思っていたら、物干し竿を2本使用してバスタオルと洗濯物にわけて干したりしているようだった。
そんなわけで、私も物干し竿を買い足した。今度はちゃんと長さも測った。
そして届いた物干し竿にはこんな説明書が入っていた。
「自分になる」…?
何を言っているのだ、この物干し竿は。
どうやら中国深センから来た物干し竿らしい。中国人は物干し竿を通して、私に何を言いたかったのだろう。
引越し後、中国語の勉強をサボっていることへの警告か、事前の下調べが足りないことに対する啓蒙か、仕事が始まったもののあれこれ迷っていることへの叱咤激励なのか。
「自分になる」
およそ物干し竿が発してくるメッセージとは思えないが、目に映るすべてのことはメッセージだもの。
きっとこのメッセージにも何か意味があるんだろう。