そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

雨に唄えば

昔、テレビでスキージャンプの原田選手か船木選手か葛西選手か、の誰かが言っていた。
「スキージャンプは海外で昔、囚人への刑罰として行われ、うまく着地できたらそのまま逃げてもいいことになっていた。」
「昔のルールではクロスカントリーは、前を走る選手をストックで刺してもよかった


恐ろしや…恐ろしや…。なんというスポーツかと驚いた。刑罰から始まったのか、あのジャンプ。でもうまく行けば逃げてもいい、っていうチャンスも同時に貰えるのだな。残酷なのか優しいのかわからない。



高校生くらいの雨の日、しみじみと思ったことがある。
「もしも私が何かの刑罰や拷問を受けるとして、雨の日にびしょびしょの靴で延々歩けと言われたら結構すぐに心を入れ替えるし、自白もする」


人によって「これは我慢できる」「これは我慢できない」の違いはとても大きいので、平気な人は全然平気なのかもしれない。

雨に濡れたツツジはとても美しい


多分、私は足が不快なのが耐えられない方なのだ。
夏に素足で家の中を歩く時に、足の裏にゴミがつくのがものすごく嫌で雑巾がけをしたり掃除機をかけたりして母に呆れられたことがある。
サンダルで歩いてほこりのついた足裏もすぐに洗いたい。風の強い日の土埃が点々とついたくるぶしも嫌だ。すぐ洗う。
冷たいフローリングも苦手だけれど、柔らかくて気持ちのいい木の床は大好き。

2017年上海。雨の夜


今日はヨガのスタジオに出かけた。雨が降ってきたから歩きで。
長靴にしようか迷ったけれど、弱い雨だからスニーカーで。
そして帰り道、盛大に後悔した。雨が強くなっていたのだ。


ああ!スニーカーがもうびしゃびしゃ!一足ごとにぐしゃぐしゃ言うの心底不快!
高校生の時から思っていたのだ、これは拷問に等しいと。
長靴を履いてくればよかった。あの時、下駄箱の中を見て「まあ、長靴履くほどではないか」と思ったのは判断ミスであった。


けれどもう大人なので、自分の判断ミスの責任は自分で取るしかないと辛抱して歩き続けて帰ってきた。
帰ったらすぐに、このスニーカーをバケツに入れて漬け置きにしてやる。そして風呂に入る!とそれだけを延々呪文のように繰り返して。


靴もバケツに入れ、シャワーを浴びて体がほかほかになったらすっかり元気だ。
内弁慶というやつで、家にいる分には雨の日だって悪くない、雨音に癒やされる、とさえ思える。さっきまであんなに「なんという地獄!」「ひどい刑罰」と思っていたのに。


鼻歌で「Singing In The Rain」なんて口ずさむけど、ジーン・ケリーもあの撮影中、靴までびしょびしょだったんじゃないだろうか。
それを思うだけで彼を尊敬するわ。



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なにもない

以前の職場を辞める時にアルバイトの女の子がカードをくれた。
彼女は、元々同僚の同級生だった女の子で、ずっとニートだったんだけれども、社会復帰のために週に何日か働きたい、ということで入ってきた子だった。


カードにはこう書いてあった。
「お疲れ様でした。朝起きて、今日はあれをしよう、これをしようと考える日々も幸せですが、ああ、今日も一日何もやることがないな!と思えるのもしみじみと幸せなものです。今まで忙しかったと思うので、ぜひそんな日を味わってみてください」


あの言葉にしみじみと「そうだよなあ、そうしたいなあ」と思ったけど、あの頃は怖くてできなかった。
でも長くニートをしてきた彼女の言葉には説得力があった。ニートという選択肢も私の人生にはなかったから、それを選べるのはすごいなと思った。

ニートってきっとコアラみたいな存在だろう。


さて、今日で、仕事を辞めてきて明日からは晴れて無職だ。
一応在職期間ではあるけれど。

猫と同じ無職


それで昨日辺りから、あの時の彼女のメッセージを思い出していた。
今ならきっとできるような気がする。
あの時彼女が言ってくれていた「何もやることがないなと思う朝のしみじみとした幸せ」


貧乏性なもので、ついつい、平日の美術館や動物園に行きたいとか、山に行きたいとか計画をしてしまうけど、明日からの私は、晴れた朝にベッドの中で「ああ、今日も何もないな、何をしようかな」としみじみ思うことが可能なんだな。
そんな贅沢を、少しの間はしてもいいんだな。
そう思うと、明日からが楽しみで、それは本当に幸せなことだな。

飴と鞭

昔の職場に松井秀喜が大好きな女の子がいた。


正直、私は松井秀喜が好きじゃなかった。
私より二つ年上の彼のことを初めて知ったのは高校1年生の夏、彼が甲子園で明徳に5打席連続敬遠をされて大騒ぎになったあの時だ。



当時の私は高校野球なんてもう大嫌いだった。野球部と来たら声が大きいし、雨の日は階段を大声上げながら猛ダッシュするし、なんなの、あのゴリラ!!と思っていた。
その上、すごいのなんの大騒ぎされているこの3年生の松井秀喜の老け顔と来たらどうだ。こんなのが同じ高校生?あり得ない!と思った。


松井秀喜が大好きな同僚は満面の笑みで言った。
松井秀喜人生で一度も人の悪口を言ったことがないんですよ?すごくないですか?」
すごいと言うより「いけすかないわー」と思った。ヤンキースでグッドガイ賞をもらっているのもいけすかなかった。


そんな、「人の悪口言ったことがない」なんて人、本当にいるの?どうせ心の中では「死ね」とか思ってるんでしょ?
人の悪口を言ったことがないなんてそんなの生身の人間だと思えなかった。


松井秀喜を初めて「あ、この人もちゃんと人間なんだな」と思えたのは何かの記事で「一番好きな本は三島由紀夫の”午後の曳航”です」と言っていたのを見たときだ。
そうなんだ、あんな屈折した少年の小説が好きなのか、それなら信用できるなと思った。


読書好きの同僚にも「松井秀喜って人の悪口言ったことないとかでいけすかなかったんだけどさ、あの人が三島由紀夫の”午後の曳航”が好きって聞いて初めて、あ、まともな人だって思えたわ」と伝えたところ、同僚も「ああ、あれが好きっていう人間臭さはいい。わかる!」と言っていた。



別に会ったことがあるわけでも話したことがあるわけでもないから、本当のところ、彼がどんな人なのかは知らない。
心の底から悪口を言わない人なのかもしれないし、心の中でだけひどい悪口を言ってきた人なのか、それはわからない。



昨今の世の中ではヘイトスピーチやネットでの中傷が大きなニュースになることが多いから、わりとみんな炎上しないようにあらゆる方面に気を使いながら発言していると思う。


自分がこうやってブログを書いていたって、そんなにたくさんの人が読んでいるわけでもないのに「もしかしてこれは誰かを怒らせるのでは」「誰かを傷つけるのでは」と考えることもある。
昔書いていたブログが、ちょっとだけバズった時、たくさんのコメントをもらったけれど、その中には「この女は何様のつもりだよ」という怒りのコメントもあった。「いい気になるな」とも言われた。


そして10年経ってもそのコメントを覚えている。
でも褒められた言葉はすぐに忘れる。
だから思うのだ。


悪口はまるで槍のように遠くまで届き、いつまで経っても胸に突き刺さって残る。
優しい言葉は飴のように、胸ですっと溶けて消えていく。
優しい言葉や元気をくれる言葉ばかりをずっと覚えていられればいいのに、一瞬胸を暖かくして儚く消えてしまう。

和三盆みたいにじゅわっと。


外国の人が、毎日家族に長電話したり、なにかにつけて「愛してる」と言い合うのは、優しい言葉がすぐに溶けてしまうことを知っているからなんだろうか。
元気な言葉が欲しくて、励ましてほしくて、ここ最近は前向きな言葉をくれる動画を狂ったように繰り返し見たり、前向きになれる曲をエンドレスリピートしたりしている。


鞭の痛みは一度でもずっと残るけど、飴の甘さはすぐに消えてしまうから、あの痛みを消すには何度も何度も何度でも飴を舐め続けて、自分に言い聞かせるしかない。


そう思うと、心の中でどう思っていたにしろ、悪口を言わなかった松井秀喜ってすごいな、と今頃あの同僚の言葉に納得するのだ。
もしかしたら彼は、鞭の痛みをものすごく知っていた人なのかもしれない。

蟹座の女の子


3月に映画館でもらったチラシが広末涼子の「20世紀ノスタルジア」でうわーーー、となった。
あの頃の男子はほとんどみんなヒロスエに「MajiでKoiする5秒前」だったなあ。


竹内まりや作詞作曲のあの曲の中で、若かりし広末涼子は歌っていた。
「蟹座の女の子って~どこか少し大胆~♪」
自分も蟹座なもので、なにかあるとあのフレーズを歌いたくなる。
そして、まあ確かに割と大胆なところあるよね、とも思っている。


我慢強いほうだとも思っているし真面目に頑張るけど、もういいやと思ったら容赦なくサヨナラしちゃう。
しいたけ占いも頻繁にそういうことを言ってくるからきっとそうなんだろう、蟹座。



4月末で仕事を辞めることにした。
あれこれずーーーっと悩んで、やっと決意したのが3月で、本当は6月まで頑張ろうかと思っていたけど、もう無理無理!辞めるならすぐ辞めたい!と4月末で申し出た。


今日が最後の在宅勤務で、勤務終了後にディスプレイの返送をしてきた。
お世話になった営業さんたちにメールも送った。
明日、明後日は出勤してご挨拶だ。


自分で決めて、辞めたくて辞めるのに、やっぱり「このご時世に何をしてるんだ」「大丈夫なのか」と不安もよぎる。
蟹座の女の子って~♪と歌いながらも、脳裏にいつか映画で見た「脱皮してまだ殻が柔らかいところを狙われて鳥に食われて死ぬ蟹」の映像がぐるぐる回ったりもする。


前に仕事を辞めたのはリーマンショックの時だった。みんなに「バカだなあ、こんな時に」と言われたし、履歴書を送れども送れども仕事はなかった。でもどうしてもあの時あれ以上は続けられなかった。
今度も同じことしてるんだろうか。こんなご時世に。

道行き


一つ一つ片付けていって、スッキリもしている。5月は何も考えずに思い切り楽しもうと決意もしている。
それでも不安は毎日つきまとう。両脇に猫を抱えて路頭に迷ったり、辞めたことを後悔したりするだろうか。それでいいんだろうかと思う。



でもしょうがないわね。
だってやることはきちんとやり尽くした気はするから。ちゃんと好きだったと思うから。どうしてもこの先もずっとここでやっていくことが思い浮かばなかったから。
蟹座の女の子ってどこか少し大胆だから。

ものまね王になりたくて


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ほんと、ニッチローすごいな。膝の内股感とかそっくりすぎる。


誰でも、何か一つくらいは得意なものまねがあると思う。
私は若い頃から、南野陽子、新田恵利は結構上手いと自負してきた。コロナ禍でステイホームの期間は家で郷ひろみを熱唱し、なんとなくヒロミGOの声の出し方、似せ方のコツはつかんだ。
清水ミチコの芸達者ぶりには到底およばないけれど。



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ものまね動画見てゲラゲラ笑ってるなんてヒマ人だと思われるだろうけど、今ちょっと弱ってるからしょうがないんだ。
なんで弱ってるかって中国語だ。勉強3年目に突入した中国語の声調に翻弄されているのだ。



日本語もアナウンサーみたいに綺麗に喋ろうと思ったら、抑揚はそれなりにある。若い頃は私も選挙のウグイス嬢やコールセンターのオペレーターをしていたのでわかる。
でも、それで疲れ果ててしまい、普段はなるべく抑揚をつけずに喋る省エネ話法に変えた。更にそこに中京圏の友人たちの方言が加わったので、今の私の普通の喋り方ときたら、とてもおかしなリズムと抑揚だ。それでも日本語というのは通じるのだ。


だがしかし、中国語は抑揚を間違えると伝わらないのだ。しかもその波の振幅の大きさよ。
第一声は高らかなトランペットのように鳴り響き、第三声は地を這うような低音だ。その上がったり下がったりの波が覚えられずついていけずもう溺れそうになっている。


仕方ないからノートに文章を書いて、上から蛍光ペンで声調を書いている。どうだこの上がり下がり。一文字ごとに違うのだ。これを歌うように話すのだ。
今日は「化粧水」が上手に発音できなくて、なんだかずいぶんへこんでしまった。


中国の翻訳サイトは音声も流してくれるので、それを聞きながら練習したりする。中国のサイトだし日本語の読み上げは下手だろうと思っていたら予想外に上手で余計にへこんだ。機械がこんなに上手に日本語を話すというのに、私ときたら…。
もう一生滑らかに中国語を話すなんてできないんじゃないか。ギクシャクと一文字ずつロボットみたいに読むしかできないんじゃないか。


そこまでへこんでから思ったのだ。
「そうだ、ものまね王になるつもりで真似すればいいんだ、とにかく真似してればそのうち覚えるだろう。南野陽子郷ひろみのモノマネだって何度もやってつかんでいったしね!」


自信を取り戻すつもりで久々に南野陽子のモノマネをしてみたが、なんだか自分の声が老け込んでいて全然ダメだった。
伊藤咲子加藤登紀子も試してみたが、ダメだ、ダメだ!今日は中国語の発音もダメで喉もおかしな日。
まあ、こんな日もあるか。


明日からまた、中国語のモノマネも南野陽子のモノマネも再チャレンジだ。
いつか、中国語の発音が少しは良くなったら、得意げな顔で他の人に言いたい。「モノマネが大事!」って。

大相撲 五月場所 番付

◆大相撲 五月場所

2022年5月8日(日)から5月22日(日)

番付 西
照ノ富士 横綱  
御嶽海 大関 正代  
大関 貴景勝  
若隆景 関脇 阿炎  
豊昇龍 小結 大栄翔 再小結
高安 前頭筆頭 逸ノ城  
霧馬山 前頭2枚目 琴ノ若  
北勝富士 前頭3枚目 玉鷲  
遠藤 前頭4枚目 隆の勝  
阿武咲 前頭5枚目 翔猿  
宇良 前頭6枚目 若元春  
宝富士 前頭7枚目 琴恵光  
志摩ノ海 前頭8枚目 照強  
琴勝峰 前頭9枚目 栃ノ心  
隠岐の海 前頭10枚目 錦木  
碧山 前頭11枚目 千代翔馬  
妙義龍 前頭12枚目 佐田の海  
千代大龍 前頭13枚目 明生  
再入幕 王鵬 前頭14枚目 豊山  
再入幕 東龍 前頭15枚目 一山本  
石浦 前頭16枚目 翠富士 再入幕
荒篤山 前頭17枚目  
  • 紫字:番付上がった
  • 青字:番付下がった

ドジで間抜けなもの


他所様の玄関先にモッコウバラが咲き誇っているのを見かけて嬉しくなった。モッコウバラってこう、惜しみなくじゃんじゃん咲くところがいい。ああ、春から初夏になっていくなあ、としみじみする。


そんな風に季節がどんどん移ろい、暖かくなるので、我が家のぬか床も最近急激に元気を取り戻している。
冬の間、しーーーんと穏やかにじっとしていたのが目覚めたようだ。
我が家は年間を通してぬか床は流しの下で常温管理だ。ここから夏の終わりまではぬか床の手入れはサボれないな。今日も蓋をあけたら、コポっと水を出していたところだった。
おお、おお、陽気だな。
蕪も1日で漬け上がる元気さだ。冬だったら3日くらいかかったのに。

蕪を食べるハダカデバネズミのランタン。 埼玉県こども動物自然公園にて。


もう少ししたら、実山椒も買ってこよう。そしてぬか床に入れるのだ。冬の間に蓄えた柚子の皮もまだ残っている。
これから野菜が豊富になる季節だから、楽しみだな、と思いながら手入れをしているが、ぬか床をかき混ぜる時によく思い出すことがある。
酢豆腐」という古典落語だ。



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長屋の連中が昼下がりから集まって一杯やろうという話になっている。酒はあるが肴がない。金もない。それでああだこうだと話し合うのだが、その中にこんな下りが出てくる。

台所行ってみねえ。板上げるんだ。下見るってぇとぬかみそ桶あらぁな。中へずーーーーっと深く手ぇつっこんで一つぐるっとこうかき回してみねえ。
忘れっちまったような古漬けなんてぇな、必ず二ッつや三ッつあるもんだよ?


こいつを引っ張り出してきてよーく洗ってよ、薄刃でもってトントントントントーンと細かに刻んでな?そのまんまだってぇと臭っていけねえから、こいつをいったん水に泳がせるてヤツだな?
しばらくたったら、布巾にあけてそこへ生姜を微塵に刻んで、な?


えー、それからなんだい、茗荷だ!こいつを薄く刻んで一緒に混ぜてキュッと絞って、上から鰹節をぱらぱらっとかけてよ、下地をちょいっと垂らして、もし良かったら七味かなんかこうかけてみな?え?オツな酒の肴になるよなあ?かくやのこうこってのはどうだい?


まああ、あなた、なんて美味しそうなんでしょうね。素晴らしいじゃない、古漬けに茗荷と生姜ってそんなの絶対美味しいやつじゃない、と私は思う。

仲良く野菜をシェアするホウシャガメ


けれど落語の続きでは長屋の連中がみんなぬか床に手をつっこむことを嫌がるのだ。やれ「先祖の遺言でそれだけはいけないと言われている」「ぬか床だけはどうも恐ろしくて鳥肌がたつ」「お金を積まれても断る」などと。
挙げ句の果てにはこうだ。

世の中にあんなドジで間抜けなものはない。
一旦手をつっこんだら最後、いくら洗ったってぬちゃぬちゃぬちゃぬちゃしやがって臭いはとれねえしよ、爪の間に黄色い糠が詰まってるなんてのはあんまりいい若いモンがするこっちゃねえや、ごめんこうむりやしょう!


ひどいじゃない…。何もそこまで嫌がるようなこと?中に入っているぬか漬けは美味しく食べるのに、ぬか床はそんなにも忌み嫌われるのか…。


大体、「ドジで間抜け」って言いますけどね。
ドジという言葉自体「鈍遅」から来ており「間の抜けた失敗をすること」ですよ。「ドジで間抜け」なんて「間抜けで間抜け」と同じですよ。
そして「間抜け」の意味は「考えや行動に抜かりがあって愚鈍な様」ですって。
「鈍遅」とか「愚鈍」とか言うけど、いったい、ぬか漬けにどんなスピード感や効率を求めているんだ!



ドジでのろまな亀だって、ドジで間抜けだっていいじゃないの、ぬか漬けなんだから。


冬よりも春から夏にかけて元気になったぬか床の方が臭いが強くなる。
これからの季節、かきまぜるたびにあの落語を思い出して「ひどいわね」とまた憤ったり、「おおう!今日は結構臭いがキツいから、長屋のみんなが嫌がっても仕方ないな」と思ったりするだろう。
そんな時は塩を足して、辛子も足せばいいんだよ、長屋のみんな。