よしなしごと
徒然なるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、妙に狂ったような気持ちになるもんだって昔の坊さんが言ってたけど、昔の写真なんか見返していても、なんだこの写真?て思ったり、急にその時のことを鮮明に思い出したり、おかしな気持ちになるものよ。
2013年8月。会津若松の墓地に手桶代わりに下げられたたくさんのやかん。
こういう素朴さや優しさに弱い。
こういうのを見るといつも「ティファニーで朝食を」のホリーの言葉を思い出す。
訪問者はみんな、自分としてはいちばんきれいに見えるようにつとめるのよ。女たちが、いちばんきれいなもんはなんでも、それこそ古いもんでも、ほんとうになさけなくなったもんでも、何もかも身につけようとするその気持、とてもやさしい、あったかいもんだわ。
トルーマン・カポーティ「ティファニーで朝食を」瀧口直太郎訳
築地で見た自転車もそういう風情がある。後ろに焼き網が2枚くくりつけられて荷台になっている。
2016年8月。閖上漁港。
こんなにも無造作に突っ込まれたホッケを見たのは初めてだ。
ジェラートやアイスクリームがきれいに入っていたっておかしくない冷凍庫なのに。
2019年3月。忍びの猫。
おぎのやの釜飯の容器は、猫の水呑みとして今も活躍中だ。猫専用の水呑みを他にも買ったが、我が家で一番人気は釜飯の釜。
釜の水で育った猫たち。
2018年8月。群馬。こんな荒れ地でポーズをとり続ける裸婦像。
見たことさえすっかり忘れているが、おそらく「こんなところでずっとこの姿勢を…!」と思ったんだろう、あの時も。
2018年3月。江ノ島。
鏡に写った自分の姿に見とれるカラス。
忌み嫌われるけど、結構スタイル良く、毛艶も美しい鳥だと思う。
よしなしごとにばかり心を奪われながら、穏やかに日々を暮らせる幸せよ。