そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

平らな街

今朝はすっかり空の色も日差しも気温も秋で、「お盆がすぎたらこんなにも秋になるのか」と驚いた。



これは会社帰りの空。どこまでも空が高く、空が広い。いつだってそのことに驚く。
写っているのはウェスティンホテルだ。


仙台は平野地が多く、平らなのでどこからでもこのウェスティンが見える。海からでも見える。
それが、私にはなんだかちょっと不気味というか恐ろしく思えてしまう。


仙台の人々はだいたい、仙台が平らな土地であることを誇りに思っているようで、嬉しそうな顔で「仙台は平らだから」「坂がないから暮らしやすい」「自転車でどこまででも行ける」と言う。
坂の多い町で生きてきた人間にとっては、土地が平でどこまでも見渡せることがちょっと不思議で落ち着かない気持ちになる。


学生時代、友人たちとなぜだか千葉のマンションの踊り場から景色を見渡したことがあった。千葉も平でどこまでも見渡せるので変な気持ちだった。でも千葉県民の友人はやっぱり「平らで暮らしやすいんだ」と嬉しそうだった。


歴史的に見ても、人は平らな所に住み、平らな場所が発展して都市になっていっているので、人は平らな場所が好きなものなんだろう。
でも、私、まだどうにもこうにも落ち着かないんだよな、私には起伏のある土地の方が魅力的に見えてしまうんだよな。仙台でも青葉山とか八木山、ちょっといいな、なんて思ってしまう。


そのうちこの平らさにも慣れるかしら。

H2

インターネットがつながらない会社なので、高校野球の結果も全然追えず、囚人のごとく座して瞑想する日々。
ものすごく精神を削られ、凹み、泣きながら帰宅したりするが、こっちに来てからくまちゃんという野球友達ができて、「準々決勝アツかったですね」なんてメッセージをくれるから少し元気が出た。


早くどこか別の会社に行って、楽しいと思いながら仕事をして、そしてなんの心配もなく野球を見たりしたい。
そろそろ自分の精神が限界なのか、昨夜は新居で初の「浴槽にうんこ」をかました猫にブチ切れてしまった。笑い飛ばす余裕もなかった。


それはさておき、大阪桐蔭が負けたのか。
びっくりだ。9回、甲子園は下関国際の応援一色だったというネットニュースを見て胸が痛んだ。



以前に金足農業大阪桐蔭の決勝の時も思った。
この展開で悪役を粛々とこなせるのは大阪桐蔭だけだな、と。
相手が大阪桐蔭で良かったな、と。
どんな強豪校だろうと公立校だろうと、みんな同じ高校生で、みんな等しく応援される権利がある。
でも、強豪校だからと応援してもらえず、世間が一方的に判官贔屓になることがある。その方が面白いから、という野次馬根性だけで。
強豪校の子にとっても、地方の公立校の子にとっても「最後の夏」「このために頑張ってきた夏」であることは変わりないのに。


それでも粛々と試合をできるだけの力を持っているのが大阪桐蔭だろう。みんなもう甲子園の先の大学やプロの世界を視野に入れているものな。とは言え、並大抵のことじゃないよな。平気なわけじゃないよね。辛かったよな。よく頑張ったな。


残るは準決勝、決勝。
くまちゃんは「もう楽しみ過ぎて甲子園休暇が欲しい」と言っていた。
いいねえ、くまちゃんのそのアツさ。
くまちゃんは地元の仙台育英推しだけど、私は近江高校推しだ。


だって、近江高校たるや、春からずっとヤバい物語の中にいるじゃないか。
本来の出場校がコロナで出場辞退し代理で出場したら決勝まで進んだ春。しかもエース山田くんは準決勝で足を怪我してしまうが執念の力投。
そして夏も出てきて、素晴らしいピッチング、更には劇的な満塁ホームランだ。
あちこちで「主人公属性」と言われているが、ホント、彼を見ているとあだち充の「H2」を思い出す。



私の大好きな漫画。夏になると読みたくなる漫画。
トントン拍子で選抜に出ちゃうところとか、足を怪我しても投げるところとか、ここぞというところの満塁ホームランとか、それでいて、あまりキャーキャー言われないところとか、どれをとってもあだち充の漫画っぽい。


今年は引っ越しのどさくさでまだH2を読んでいなかった。ま、山田くんがいるからいいか。

Please Mr. Postman



ポップなメロディーにのせて、ではなく、結構本気で「たのむぜ、郵便局さんよう」と言いたくなる気持ち。


横浜で、前の家に引っ越す時に郵便局に転居届を出したら郵便局から電話がかかってきた。電話口のおばさんは無邪気に言った。
「○○さんと同棲しているんですか?」


は????
と思ったが、どうやら○○さんというのは前の入居者の名前らしい。しかもフルネームだ。
郵便物の誤配を防ぐために入居者を確認したいのだろうけど、そんな簡単に前の入居者の名前をするっと言っちゃうの?おまけにいきなり同棲扱い??と心底驚いた。


大体、前の入居者の性別なんて知りたくなかった。男性が住んでいたのか…と思いたくなかった。不動産屋さんも明かさない情報をなぜ郵便局は勝手に言うのか。
この個人情報にうるさい時代に。


と、郵便局に苦情を入れたのは12年ほど前だ。

九品仏の黄色いポスト


あれから時は経ち、仙台に引っ越すのでまた転居届を出したら、入居前、郵便局からの確認はがきが郵便受けに入っていた。
驚くじゃないですか、私の名前と前の入居者の名前が連名だもの。ねえ、それしか確認方法ないの?郵便局さんは。
前の入居者、今回も男性だった。そんなの本当に知りたくなかった。


不動産屋の原状回復が甘くて、入居後に自分で風呂場の掃除とかしたけど、男性が使ってた風呂場だったらもっとちゃんと原状回復してよ、とか思っちゃうじゃん。
なんで、人にそう思わせるようなことを郵便局は簡単に情報開示しちゃうの?


そして、きっと私の名前も次の入居者が転居届を出したらバーンとフルネームで書かれちゃうんですよね?
私、わりと変わった名前だから、そういうの本当にやめてほしい。勝手に人の名前と、もう住んでいないにしろ住所を公開しないでほしい。


今どきこんなにも個人情報をカジュアルに垂れ流すなんて、郵便局さんどうなっちゃってんだよ。
マジでPlease Mr. Postman。

親方日の丸

新しいお仕事は激烈に昭和レトロで、エアコン設定は24度だし、ゴム印と日付印とテプラと大量の紙によって日々が成り立っている。
それでも口先だけは「SDGs」とか「環境配慮」とか言わねばならないのだな…としみじみしてしまう。
そして何よりもヒマだ。


ネットも見れない環境なので、昔の資料など見るともなしに見ていると、恐ろしいものを発見してしまった。
東日本大震災の追悼式のため、お国から弔旗掲揚の指示が出ているのだ。
その文章たるやすごい。


あまりのことに帰宅後ネット検索したら、あちこちに資料も文書も出ていたので遠慮なく書くけど。

弔旗掲揚については「大喪中ノ国旗掲揚方ノ件」(大正元年7月30日閣令第1号)に準拠し、竿球は黒布をもって覆い、旗竿の上部に黒布を付することとするが、弔旗として半旗掲揚のの慣行のあるところでは、それに従ってもよいこと。


は??大正元年て!
驚きながら添付資料を見ると、歴史的資料としか思えないものが目に入る。


大喪中国旗ヲ掲揚スルトキハ竿球ハ黒布ヲ以テ之ヲ蔽ヒ且旗竿ノ上部ニ黒布ヲ附スヘシ其ノ図式左ノ如シ


「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」みたいなノリじゃんか。
そんなのを現代の令和の職場に大真面目な顔で持ち込んでくるんだな。しかもFAXとかでさ、お国のお偉い方々のお名前でさ。大正時代の資料をさ。



恐ろしい、お国のすることは本当に恐ろしい。
安倍総理の件で弔旗掲揚の指示が学校に出回っただの、国葬がどうだのと世の中が騒いでいるが、そんな時も、この大正時代の紙がFAXで、あちこちに送られていいたんだろうな…。
お国と関わりの深い職場の方々は、こんな書類もう見飽きるくらい見ているんだろうか。


なんなら、もっとわかりやすい現代文に変えたって、いらすと屋さんの絵とか使ったって、写真をつけたっていいじゃない…。
でもずっと大正時代のこの書類を使うのね。閣令だから?


この国の夜明けはいつなの…。
エアコンがガンガンにきいた職場で身も心も震えた日。

タイムラグ


7月末、東北ではまだあじさいが咲いていることで季節感がバグったが、ここ最近では季節感について行けずに恐怖を感じている。
昨日もやたら涼しかったが、今日に至っては肌寒かった。
半袖で家を出て、自転車に乗ったら「しまった、半袖じゃダメな気温だった」と焦った。
道行く人たちも長袖シャツを羽織っている。
こんなの関東だったら9月中旬以降の気温じゃない?どういうこと?これが「東北の夏は早く過ぎ去る」ということなの?



思い起こせば七夕花火大会も肌寒かった。私はもちろん山用のウィンドブレーカーとひざ掛け毛布を持参し、使用したが、周りの方々も皆それぞれの上着をお持ちだ。みんな「夜は寒くて当たり前」という感じで上着は持参なのだな。
もちろん猛暑日もあるが、ほとんどの日、夜はエアコン無しで眠ることができる。それどころか、寒くて窓を閉めるほどだ。


もう外では鈴虫が鳴いている。
猫たちは気温に敏感なのか、既に冬毛に備えた換毛期が来ている感じがする。毎朝、わさわさと毛が抜けるのだ。
怖い怖い怖い。季節のめぐりが早すぎる。

先週末の天守閣公園。とんぼがたくさんいた。


関東では危険な暑さが続くというニュースも、甲子園の暑さもまるで別世界のことみたい。
関東にいたらいたで、うんざりして「絶対に外に出ない」と心に誓うくせに、こんなに涼しいと心細くて、あの暑さが恋しくなったりもする。


今からこんなことでは冬はいったいどうなるのだろう。
そして東北である以上、冬はやたらと長いのだろう。3月でも4月でもまだものすごく寒かったりするんだろう。怖い。
このタイムラグ、季節感のズレにも慣れていかなければいけないのだな…。

あの坂をのぼれば



中学校1年生の時の国語の教科書に載っていた「あの坂をのぼれば海が見える」という文章を折に触れて思い出す。
少年が暑い夏の日に「あの坂をのぼれば海が見える」といくつもいくつも山を超えるのに一向に海が見えてこないという話だった。
「あの坂をのぼれば海が見える」という部分ばかり覚えていて、文章の題名も忘れていたが「小さな町の風景」というらしい。

あの坂をのぼれば、海が見える。


少年は、朝から歩いていた。
草いきれがむっとたちこめる山道である。
顔も背すじも汗にまみれ、休まず歩く息づかいがあらい。


あの坂をのぼれば、海が見える。


それは、幼いころ、添い寝の祖母から、
いつも子守唄のように聞かされたことだった。
うちの裏の、あの山を一つこえれば、
海が見えるんだよ、と。
その、山一つ、という言葉を、少年は正直に
そのまま受けとめていたのだが、それはどうやら、
しごく大ざっぱな言葉のあやだったらしい。
現に、今こうして、峠を二つ三つとこえても、
まだ海は見えてこないのだから。
それでも少年は、呪文のように心に唱えて、のぼってゆく。


あの坂をのぼれば、海が見える。
のぼりきるまで、あと数歩。
半ばかけだすようにして、少年はその頂に立つ。
しかし、見下ろす行く手は、またも波のように、
くだってのぼって、その先の見えない、
長い長い山道だった。
少年は、がくがくする足をふみしめて、
もう一度気力を奮い起こす。


あの坂をのぼれば、海が見える。
少年は、今、どうしても海を見たいのだった。
細かく言えばきりもないが、やりたくてやれないことの
数々の重荷が背に積もり積もったとき、
少年は、磁石が北を指すように、
まっすぐに海を思ったのである。
自分の足で、海を見てこよう。
山一つこえたら、本当に海があるのを確かめてこよう、と。


あの坂をのぼれば、海が見える。
しかし、まだ海は見えなかった。
はうようにしてのぼってきたこの坂の行く手も、
やはり今までと同じ、果てしない上がり下りの
くり返しだったのである。

もう、やめよう。
急に、道ばたに座りこんで、
少年はうめくようにそう思った。
こんなにつらい思いをして、
いったいなんの得があるのか。
この先、山をいくつこえたところで、
本当に海へ出られるのかどうか、わかったものじゃない。
額ににじみ出る汗をそのままに、草の上に座って、
通りぬける山風にふかれていると、
なにもかも、どうでもよくなってくる。
じわじわと、疲労が胸につきあげてきた。
日は次第に高くなる。


これから帰る道のりの長さを思って、
重いため息をついたとき、少年はふと、
生きものの声を耳にしたと思った。
声は上から来る。
ふりあおぐと、すぐ頭上を、光が走った。
翼の長い、真っ白い大きな鳥が一羽、
ゆっくりと羽ばたいて、先導するように次の峠を
こえてゆく。
あれは、海鳥だ!
少年はとっさに立ち上がった。
海鳥がいる。
海が近いのにちがいない。
そういえば、あの坂の上の空の色は、
確かに海へと続くあさぎ色だ。
今度こそ、海に着けるのか。
それでも、ややためらって、行く手を見はるかす
少年の目の前を、ちょうのようにひらひらと、
白いものが舞い落ちる。
てのひらをすぼめて受けとめると、それは、
雪のようなひとひらの羽毛だった。


あの鳥の、おくりものだ。
ただ一片の羽根だけれど、それはたちまち少年の心に、
白い大きな翼となって羽ばたいた。


あの坂をのぼれば、海が見える。
少年はもう一度、力をこめてつぶやく。
しかし、そうでなくともよかった。
今はたとえ、このあと三つの坂、
四つの坂をこえることになろうとも、
必ず海に行き着くことができる、
行き着いてみせる。
白い小さな羽根をてのひらにしっかりとくるんで、
ゆっくりと坂をのぼってゆく少年の耳に
あるいは心の奥にか
かすかなしおざいのひびきが聞こえ始めていた。


今日、まさにこの少年と同じような冒険をしてきた。
仙台で、今まで何度か荒浜の海に連れてきてもらった。引っ越した日にも海に行った。

7月20日の海。砂浜に観音様の影が伸びている。


海からの帰り道、友人鮭太郎は「学生時代はさ、自転車で海まで来たりしたよ。仙台は平らだからどこまでも自転車で行けるからね。まめちゃんもこれからは自転車で海に来れるね」


その言葉が印象に残っていた。
今日はちょうど晴れているけど風があって涼しくて過ごしやすい日だった。午前中は高校野球を見ていたけれど横浜高校が負けてしまった。昨日はごろごろしていたし、さて出かけるか、と自転車に乗った。


前に連れて行ってもらった海とは違っても、ともかく東に行けば海だろう、と東へ向かう。
高速道路をくぐると一面の畑が広がって、恐ろしくなる。



なんなの、なんなの。
視界の7割が空で残り3割が枝豆と稲ってどういうことなの。今もしも夕立が来たら、私に雷が落ちるんじゃないの。
不安と驚きで笑ってしまいながら自転車を漕ぐ。
あちこちに津波の避難用の建物があり、避難方向を示す標識が立っているので、今地震が来たらどうしようか、とも考える。


さて、それで突き当たったのはいいけれど、浜に出ることができない。
確かにあの向こうは海なのに、それは間違いないし波の音もするのに浜に出れない。
仕方なく延々と迂回をする。
迂回路はずっと海のように広がる水田だ。



初めは良かった。なんだかんだそのうち浜に出れるだろうと思っていた。
しかし、行けども行けども浜にでることは出来ない。野球場やサッカー場、ゴルフ場などが行く手を阻み、逆側には水田が広がるばかりだ。
そして水田では雀が楽しげに戯れている。私はいまだかつてあんなに楽しそうな雀は見たことがない。
そうだよな、街なかと違って、あなたがたが食べるものはここに豊富にあるものな。天国だよな。



正面は確かに海なのに、農道を通れども、砂利道を通れども海に出ることができない。



途中で、もう海はいいやと思った。
海のごとく広がる水田はいやというほど見たし、海が見れなくてもまあいいや。しょうがない。海は車で連れてきてもらおう。
けれど、嵩上げ道路に登ることもできず、延々と迂回を続けるしかなかった。
そしてやっとの思いで、あのいつもの浜にたどり着いた。



がくがくする足で堤防に登って海を眺め、地図を確認したら、浜に出られないところには延々と湿地帯が広がっていたらしい。
そうだったのか。浜に出られるところはここしかなかったのか。
なーんだ、と思っていたらポツポツと雨が降り出した。


もう二度と自転車で海には行かない。
そう思いながら帰ってきたが、いつかまた「あの時あんなこと思っていたな」と考えながら自転車を漕ぐんだろうか。
延々と、雷に打たれそうな水田を抜けて。
海が見たい、海が見たい、と思いながら。

青年の主張


うちのこメーカーで作った我が家のにゃんこ。
選択できる柄が少ないので、あくまで雰囲気だけども。


玄関でとろける御本尊


私も日々少しずつ仙台に慣れてきているが、猫たちもだいぶこの家に慣れてきた。
お、そろそろ大丈夫かな、と思ったのは、うんこしっこのペースが落ち着いてきたことと、うんこの状態を見たときだ。排泄物は正直だぜ。

涼しい日はミチミチに詰まっている。


猫の生活ペースは戻ってきたが、今までと変わったこともある。
一つに、一緒に寝てくれなくなった。今までは夜、ベッドで一緒に寝てくれたのに、最近はキャットタワーやら玄関やら好きな場所で寝ている。家が少し広くなったせいだろう。ちょっと寂しい。


冬に備えて、もうこたつを注文していて9月中旬には届くことになっている。きっとこたつが来たら、冬も私と眠ってくれなくなるんだろう。寂しいな。
男子だからな。自立しちゃったのかな。


もう一つ、変わったことと言えば、よく鳴くようになったことだ。
それも低い声で不満を訴えたり、要求したりすることが増えた気がする。
これはあれだな。嫌なことは嫌だって大声で言わないと、キャリーに詰められて新幹線で運ばれ、知らない家に連れこられる、引っ越しという猫にとっての大災害を経験したせいなのだろうな。


そんなわけで、最近猫はよく喋る。そうかそうか、一人前に主張もするようになったか。来月で4歳だもんな。大きくなったもんだよ。
そう思えば、猫が走り回れるだけの、前よりも広い家に来れて良かったよね。猫には大災害だったにしてもさ。

生後3ヶ月のおチビ時代。