そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

あの坂をのぼれば



中学校1年生の時の国語の教科書に載っていた「あの坂をのぼれば海が見える」という文章を折に触れて思い出す。
少年が暑い夏の日に「あの坂をのぼれば海が見える」といくつもいくつも山を超えるのに一向に海が見えてこないという話だった。
「あの坂をのぼれば海が見える」という部分ばかり覚えていて、文章の題名も忘れていたが「小さな町の風景」というらしい。

あの坂をのぼれば、海が見える。


少年は、朝から歩いていた。
草いきれがむっとたちこめる山道である。
顔も背すじも汗にまみれ、休まず歩く息づかいがあらい。


あの坂をのぼれば、海が見える。


それは、幼いころ、添い寝の祖母から、
いつも子守唄のように聞かされたことだった。
うちの裏の、あの山を一つこえれば、
海が見えるんだよ、と。
その、山一つ、という言葉を、少年は正直に
そのまま受けとめていたのだが、それはどうやら、
しごく大ざっぱな言葉のあやだったらしい。
現に、今こうして、峠を二つ三つとこえても、
まだ海は見えてこないのだから。
それでも少年は、呪文のように心に唱えて、のぼってゆく。


あの坂をのぼれば、海が見える。
のぼりきるまで、あと数歩。
半ばかけだすようにして、少年はその頂に立つ。
しかし、見下ろす行く手は、またも波のように、
くだってのぼって、その先の見えない、
長い長い山道だった。
少年は、がくがくする足をふみしめて、
もう一度気力を奮い起こす。


あの坂をのぼれば、海が見える。
少年は、今、どうしても海を見たいのだった。
細かく言えばきりもないが、やりたくてやれないことの
数々の重荷が背に積もり積もったとき、
少年は、磁石が北を指すように、
まっすぐに海を思ったのである。
自分の足で、海を見てこよう。
山一つこえたら、本当に海があるのを確かめてこよう、と。


あの坂をのぼれば、海が見える。
しかし、まだ海は見えなかった。
はうようにしてのぼってきたこの坂の行く手も、
やはり今までと同じ、果てしない上がり下りの
くり返しだったのである。

もう、やめよう。
急に、道ばたに座りこんで、
少年はうめくようにそう思った。
こんなにつらい思いをして、
いったいなんの得があるのか。
この先、山をいくつこえたところで、
本当に海へ出られるのかどうか、わかったものじゃない。
額ににじみ出る汗をそのままに、草の上に座って、
通りぬける山風にふかれていると、
なにもかも、どうでもよくなってくる。
じわじわと、疲労が胸につきあげてきた。
日は次第に高くなる。


これから帰る道のりの長さを思って、
重いため息をついたとき、少年はふと、
生きものの声を耳にしたと思った。
声は上から来る。
ふりあおぐと、すぐ頭上を、光が走った。
翼の長い、真っ白い大きな鳥が一羽、
ゆっくりと羽ばたいて、先導するように次の峠を
こえてゆく。
あれは、海鳥だ!
少年はとっさに立ち上がった。
海鳥がいる。
海が近いのにちがいない。
そういえば、あの坂の上の空の色は、
確かに海へと続くあさぎ色だ。
今度こそ、海に着けるのか。
それでも、ややためらって、行く手を見はるかす
少年の目の前を、ちょうのようにひらひらと、
白いものが舞い落ちる。
てのひらをすぼめて受けとめると、それは、
雪のようなひとひらの羽毛だった。


あの鳥の、おくりものだ。
ただ一片の羽根だけれど、それはたちまち少年の心に、
白い大きな翼となって羽ばたいた。


あの坂をのぼれば、海が見える。
少年はもう一度、力をこめてつぶやく。
しかし、そうでなくともよかった。
今はたとえ、このあと三つの坂、
四つの坂をこえることになろうとも、
必ず海に行き着くことができる、
行き着いてみせる。
白い小さな羽根をてのひらにしっかりとくるんで、
ゆっくりと坂をのぼってゆく少年の耳に
あるいは心の奥にか
かすかなしおざいのひびきが聞こえ始めていた。


今日、まさにこの少年と同じような冒険をしてきた。
仙台で、今まで何度か荒浜の海に連れてきてもらった。引っ越した日にも海に行った。

7月20日の海。砂浜に観音様の影が伸びている。


海からの帰り道、友人鮭太郎は「学生時代はさ、自転車で海まで来たりしたよ。仙台は平らだからどこまでも自転車で行けるからね。まめちゃんもこれからは自転車で海に来れるね」


その言葉が印象に残っていた。
今日はちょうど晴れているけど風があって涼しくて過ごしやすい日だった。午前中は高校野球を見ていたけれど横浜高校が負けてしまった。昨日はごろごろしていたし、さて出かけるか、と自転車に乗った。


前に連れて行ってもらった海とは違っても、ともかく東に行けば海だろう、と東へ向かう。
高速道路をくぐると一面の畑が広がって、恐ろしくなる。



なんなの、なんなの。
視界の7割が空で残り3割が枝豆と稲ってどういうことなの。今もしも夕立が来たら、私に雷が落ちるんじゃないの。
不安と驚きで笑ってしまいながら自転車を漕ぐ。
あちこちに津波の避難用の建物があり、避難方向を示す標識が立っているので、今地震が来たらどうしようか、とも考える。


さて、それで突き当たったのはいいけれど、浜に出ることができない。
確かにあの向こうは海なのに、それは間違いないし波の音もするのに浜に出れない。
仕方なく延々と迂回をする。
迂回路はずっと海のように広がる水田だ。



初めは良かった。なんだかんだそのうち浜に出れるだろうと思っていた。
しかし、行けども行けども浜にでることは出来ない。野球場やサッカー場、ゴルフ場などが行く手を阻み、逆側には水田が広がるばかりだ。
そして水田では雀が楽しげに戯れている。私はいまだかつてあんなに楽しそうな雀は見たことがない。
そうだよな、街なかと違って、あなたがたが食べるものはここに豊富にあるものな。天国だよな。



正面は確かに海なのに、農道を通れども、砂利道を通れども海に出ることができない。



途中で、もう海はいいやと思った。
海のごとく広がる水田はいやというほど見たし、海が見れなくてもまあいいや。しょうがない。海は車で連れてきてもらおう。
けれど、嵩上げ道路に登ることもできず、延々と迂回を続けるしかなかった。
そしてやっとの思いで、あのいつもの浜にたどり着いた。



がくがくする足で堤防に登って海を眺め、地図を確認したら、浜に出られないところには延々と湿地帯が広がっていたらしい。
そうだったのか。浜に出られるところはここしかなかったのか。
なーんだ、と思っていたらポツポツと雨が降り出した。


もう二度と自転車で海には行かない。
そう思いながら帰ってきたが、いつかまた「あの時あんなこと思っていたな」と考えながら自転車を漕ぐんだろうか。
延々と、雷に打たれそうな水田を抜けて。
海が見たい、海が見たい、と思いながら。