そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

一週間の歌

木曜日、無職の私に友人鮭太郎からLINEが来た。
「土曜日、梨買いに行こうよ」


即座に「行く!」と返答したが、あとでしみじみと考えた。
「梨買いに行こうよ」なんて誘いを受けたのは生まれて初めてだ。梨なんて八百屋かスーパーで日々の買い物の中で購入するものだった。
だが、ここらの人は違うのだ。近くに利府という梨の産地がある。わざわざそこまで買いに出向くのだ。



このように街道沿いに梨直売店が軒を並べている。


鮭太郎は言う。「早めに行かないと売り切れちゃうから9時到着のつもりで出発するからね」「午後はもう売り切れだから!」


そんな人気のラーメン屋かうどん屋みたいな感じなのか、梨直売所というのは。
驚きながら出かけると、9時前から人が並んでいる直売所もあるし、各直売所がTwitterやらInstagramやらを駆使してあれこれ情報を発信していて、更に驚く。
私はこれまでの人生で、梨を買うことにこんなに情熱を傾けたことはない。
勢いにのまれてカメラも忘れて出かけたのだ。


そして大きな秋月という梨を6個買った。普通の梨より1.5倍くらい大きかった。隣には「かおり」という名の青梨も売られていたが、こっちはメロンのような大きさだった。なんでも「幻の梨」らしい。


その後、ドライブがてらに道の駅に行ったら、「ポポー」という謎の果物が売られていた。なんでも「幻のフルーツ」らしい。東北にはどれほどの幻が存在しているのだ、恐ろしいな。


アケビガキというのか。
アケビじたい、先日初めて本物を見た。ヤマザワという山形本拠地のスーパーで鮭太郎が笑顔で「ほら、あけび」と差し出すのだ。艶を失った茄子とでもいうか、明るい紫色をした腎臓型の物体に私は一瞬パニックになった。
あけび、という言葉は知っていたが、それと実物が結びつかなかったのだ。


後で鮭太郎があけびの説明サイトを送ってくれたが、つっこみどころが多すぎてまたしても何も言えなくなった。



あけびと見た目が似ているからって、いきなり黄ばんだ歯の広告が出てくるし、「見た目がワイルドでもOK」みたいなザックリ感。そして唐突に出現する「ムベ」
なんなんだよ、その妖怪みたいな名前のやつは。
…と思ったら、それも幻系のフルーツらしい。なんでも天智天皇がこの果物を食べて、村人が長寿であるのも「むべなるかな」と仰ったそうだ。


実りの秋、東北では米、梨、芋、あけび、蕎麦、様々なものが実りを迎えている。そして穂紫蘇も実っている。今まで穂紫蘇の季節も知らなかったし、わさーーーっとまとめられた大束が60円から100円などと言う破格の値段で売られていることも知らなかった。
道の駅で穂紫蘇を前に、スマホで処理方法を調べ、早速お買い上げして穂紫蘇を塩漬けにした。
ついでに「茹で落花生食べたことある?絶対食べたほうがいいって!」と鮭太郎に強く薦められた落花生も買った。


穂紫蘇の塩漬けも、落花生を茹でるのも初めてだ。
今日は鮭太郎が新米ササニシキのおすそわけにきた。
生産地の秋の、気圧されるほどの実りよ…。


そんなわけでこの週末の私の頭の中にはずっとロシア民謡の一週間の歌が流れていた。
土曜日に梨を買いに出かけ、日曜日は落花生を茹でる。
先週の日曜日は穂紫蘇を塩漬けにして、今週は新米に穂紫蘇を載せて食べる。
トゥリャトゥリャトゥリャトゥリャトゥリャトゥリャリャー




こんな生活が現実なんだな…。

今は昔

古代エジプトの遺跡だのメソポタミアの遺跡だの、そんなものにも「最近の若者は」といった愚痴が書かれているという話を時々聞く。
そう思うと、人はいつの時代でも常に過去と現在を比較し、そして積み重ねてきた日々を憂えたり、感銘を受けたりしているものだなあ、としみじみする。
私は何につけ、しみじみとするタイプなので。

最近の猫ときたら、抱き合って暖を取りがち。


さて、9月末で退職し、今年2度目の無職だ。
それをいいことに山寺へ行ってきた。山寺は、松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という句を詠んだ立石寺のある場所だ。仙台から仙山線という在来線で小一時間。往復の割引きっぷなどもあり、手軽に行くことのできる観光地。


かねてより、仙台の友人や同僚から「山形は近い」「通勤している人もたくさんいる」と聞いていたので割りと気軽な気持ちだったが電車に乗って驚いた。
単線じゃないか!


そうか、通勤電車なのだから複線、複々線である、などという考えは「当たり前」ではないのだな、と思い知らされた。ちょっと仙台駅を離れた途端、電車は急勾配を登り、生い茂る草をかき分けて走るのだ。そして停車駅で上り下りの待ち合わせを行いながら電車は進む。
仙山線という名ではあるが、仙台から山形まで行く電車は1時間1本だ。あとの2本は愛子(あやし)止まりだ。
それも納得の風景が車窓に広がる。



沢、山、沢、山、の繰り返しだ。初めは「なんと美しい渓谷!」などと思っていたが、あまりに繰り返されるので、景観のインフレ状態に陥る。まあ、地理的に山があれば沢があるよな、と無感動になってくる。恐ろしい。
そして奥羽山脈を貫く長いトンネルを抜けると天気が違うのだ。仙台では曇り空だったが、山形は晴れている。奥羽山脈の威力を思い知る。



山寺駅に近づくと見えてくる「日本一の芋煮」の大鍋。ちなみにこの鍋は「鍋太郎」という名だ。そして1992年から25年間使われた2代目鍋太郎が観光アピールのため再雇用され、山寺の河原に展示されているらしい。鍋でさえ再雇用されているのに、無職の身のわたくし。


こんなものが展示されているくらいなので、当然駅から山寺登山口まで立ち並ぶお店にも「芋煮定食」の文字が躍り、店先には「令和鍋合戦 鍋将軍の称号は誰の手に!」などという謎ポスターも展示されている。そんなにも芋煮推しか。



そんなことを考えながら、立石寺1000段の石段を登り始めるが、今度は風情がインフレを起こす。ともかく風情がありすぎだ。芭蕉の句碑が有名なおかげで、俳人の聖地なのか、句碑がいくつもあり、また昔からたくさんの人々が祈りを捧げてきた石塔や石碑が随所にある。



風雨に侵食された凝塊岩はガウディ建築かジブリかといった風情で、それはきっと昔の人の心をも強く捉えたのだろう、あの穴に納骨されたり、あの穴の中で即身仏になられた方もいるらしい。
昔の人もよくもこんな場所にお寺を作ったものだが、命をかけても作りたくなるほど霊験あらたかな感じがしたのだろうな、この岩の姿に。



こんな天空の寺といった風情には、さぞかし芭蕉も感銘を受けたことだろう。そしてきっとやっぱり「よくもこんなところに」と思っただろう。



立石寺の入り口には芭蕉曽良銅像があった。横の碑文によると芭蕉像はでん六豆の社長のお父さんが建てたらしく、息子が曽良の像を付け足したんだそうだ。さすが地元企業。


五大堂からの景色


仙台に来てから、あちこちに密かに「おくのほそ道のゆかりの地」という表記を見かけて気になっていた「おくのほそ道」、帰宅後、ようやく読むことにした。
やはりこういう古典は今読むと、学生時代に習った時とは全く違う感銘を受ける。


芭蕉西行法師などに憧れてみちのくの旅に出て、「ああ、本で読んだのと同じだ、昔の人もこれを見ていたのか」としみじみしている。その様子を読んで、私も「ああ、芭蕉も先人を振り返って感銘を受けていたのか」とか「万葉集の時代から既にこの辺りも歌に詠まれていたのか」としみじみする。
人間は、そうやって積み重ねてきた歴史に感銘を受けていくものなのね。



下山したら、出口のところに山口素堂の歌碑があった。
「ほろびゆくもの美しき遠き世の供養の文字乃苔にやつるも」
芭蕉と親交の深かったという山口素堂。いい歌だな。そしてやっぱり、この人も滅びゆく過去のものに、遠い時代のものに思いをはせていたのだな。


山口素堂も読みたくなるし、西行についても調べたくなる。
今は昔の人が、今と同じように思っていたこと。

お前を食べるため


グリム童話赤ずきん赤ずきんがおばあさんをお見舞いに行くと、おばあさんに変装した狼がベッドに横たわっている。

「おばあさんの耳は大きいのね。」
赤ずきんちゃんが聞くと、おばあさんに化けたオオカミは、言いました。
「お前の声を聞くためさ。」
「目も大きいのね。」
「お前をよく見るためさ。」
「どうして口がそんなに大きいの。」
「それはお前を食べるためさ。」


とても有名なシーンだが、よくよく考えると狼はなんと努力家なのだろうと感心する。食料を効率よく手に入れるために知恵を働かせ、変装までしているのだ。ここまでするのは「飢えているから」だけではない。余裕のあるうちに計画をし、言葉を学び、知恵を働かせて狩りを実行しているのだ。食べるため、そして生きるために。



さて、昨日私は仙台市科学館へ行ってきた。狙いはきのこ展だ。郵便受けに投函されるタウン誌できのこ展の開催を知ってから1ヶ月ほどずっと楽しみにしていた。
以前に、国立科学博物館筑波実験植物園のきのこ展には行ったことがある。広い植物園の中をあちこち歩きまわってサラっと見たような印象だ。
だが、この仙台のきのこ展はそれとはまったく違うものだった。



エントランス入ってすぐの場所できのこ展は無料開催されており、しかも大盛況で、列に並んで入場するほどだ。地元のテレビ局も来ていた。
仙台という街と同じようにコンパクトにまとまった展示会場には、「仙台きのこ同好会」という腕章をつけた人々がたくさん立っている。
仙台きのこ同好会…。そんな会があるのか。うっかり入会してしまいそうだ。

同好会の方々が撮ったきのこの写真も美しい


何より驚くのは、この会場に訪れる人々のきのこに対する情熱だ。
おばさま方があちこちでしきりに話している。
「これは食べられるの?」
「ほら、これこないだ○○さんが採ってきてくれたやつ」
「ショウロねえ。あそこの浜の松のとこに昔はよく生えてた」
「ああ、これはやっぱり食べられないキノコだったのねえ」


その熱意にきのこ同好会の方々も真剣に答えている。
「レンジでチンして乾燥させたやつを来年、新しくとれたきのこと一緒に炊き込むと抜群にうまい」
「天然の舞茸は、養殖物とは香りがまるで違う。天然と言いながら養殖物に土だけつけて売ってる店もある」
「このきのこはやくらいさんに行けば今頃たくさん売っているだろう」


おばさま方も「あらー、これから”やくらいさん”行ってこようかしらー」なんて言っているので、”やくらいさん”とは何かこっそり調べた。
おそらく道の駅的なものだろう。きのこが主力らしい。


www.pref.miyagi.jp



こういった熱量の高い会話があちこちで繰り広げられている。私はその、きのこに対する人々の情熱に圧倒された。
そうか、みんな食べるつもりなんだな。そのへんのきのこを。
自分で採るなり、地元のきのこを買うなりして食べるためにこんなに熱心なんだな。



そういったニーズに応えるためか、案内プレートも食べられるきのこは最後にメニューがあれこれ書いてある。しかもこの展示、きのこに触ってもいいのだ。素晴らしいな。



林などでたまに見かけて背筋がぞわっとしたことのある、このきのこは皮を剥いて薄くスライスしてソテーしたりして食べられるらしい。そんなじゃがいもかカンパーニュみたいなものだったのか、と驚いた。


関東の展示では普通のきのこより毒きのこの方がみんな面白がって見ていたが、こちらではそんなこともない。
「ええ?このきのこ毒なの?食べられるでしょう?」
「ほら、前に老人ホームで!あの事故があってから毒キノコにされちゃったのよー」
などと、毒キノコに関しても「面白い、面白くない」ではなく「食べられる、食べられない」という判断だ。
同じきのこでも体調によってあたってしまうことがあったり、食べ合わせによってダメだったり、ということをみんな知っているのだな。食べるために。



ウラベニホテイシメジ。軸の部分が魚肉ソーセージみたいに太くて立派で、聖火の如く掲げたくなる。
案内プレートによると「宮城では人気があるが、苦味が強く、味というより歯切れの良さを楽しむきのこ」とのこと。なるほどなー。どんなきのこが好きかという地域性もあるんだな。そして九州沖縄が苦味のつよいゴーヤを好む如く、苦味の強いきのこが好まれる地域もあるのだな。勉強になる。


会場は、入り口から養殖きのこ、冬虫夏草、食べられるきのこ、毒きのこ、可食不明のきのこ、と展示されているが、可食不明のきのこについてもどこかで誰かがチャレンジしている様子が伺える。



ナギナタタケ。味が悪いので食不適とのこと。
そうだよな、毒きのこにしたって、誰かが食べてみないことにはそれが毒だかどうだかわからなかったのだ。食べて美味しいきのこもあれば毒もあり、そして不味いきのこもあれば、「別にわざわざ食べなくてもいい」というきのこもあるだろう。先人がチャレンジしたおかげで今日まできのこが食べられてきているのだ。



脳みそのような養殖なめこ。私がこっちに来て「なんてデカいなめこなんだ!」と驚き「野生のなめこ」と呼んでいたなめこは養殖なめこだったのだな。



本当の野生のなめこはこんな感じらしい。みたらし団子みたい。


きのこを一通り堪能した後は、東北大学の教授の方によるきのこの講演会があった。題して「きのこの放射能汚染」
切実なテーマだ。そしてこの講演会も大盛況で驚く。
関東にいたら、きのこは買うもので「そのへんのきのこを食べるなんてあり得ない」と思っていたが、ここらの人は食べるためにきのこを真剣に観察し、学び、経験を伝えて生きているのだな。



きのこ鑑定コーナーもあり、帰りがけに見たら、きのこを持ち込んで鑑定を受けている人がいた。すごいな。
「きのこって面白いよね」とか「かわいいよね」とかじゃない。「遊びじゃないんだ、食べるためだ」という情熱を感じたきのこ展であった。

そのへん

関東で3年ほど育てていたぬか床が、引っ越しで無理をさせたせいか、はたまた仙台の湿度に合わなかったのか、ダメになってしまった。
それで全部処分した。



以前の記事でも書いたが、この「米の国」ではスーパーや市場に並ぶ「ご飯の友」がやたら充実している。漬物、佃煮、珍味、あれこれ。
見たことのない漬物もたくさんある。
なので、しばらくぬか漬けを休んでも、ご飯の友には困らないかなあ、と思っている。


関東にいた頃、東北から来た同僚たちの言葉によく驚いたものだった。
いわく「冬の間は雪で買い物にいけないこともあるので、ご飯と漬物だけ」
「雪の下に埋めておいた野菜を出してきて食べる」
「夏のバイトは尾花沢スイカにシールを貼る仕事」


山形から来たごっさんが当たり前のように言った漬物石の話にも驚いた。
「漬物石なんてどこの家にもあるじゃないですか!」
…いや、ないが?
「じゃあ、河原で拾ってきたらいいんですよ」
河原!!どこの?


そんな話を懐かしく思い出して仙台の友人・鮭太郎に伝えると、鮭太郎も「そう!河原よ!」と言う。「うちにも河原から拾ってきた漬物石あるよ」とのこと。
なんなの、人は広瀬川で漬物石を手に入れるものなの?そのへんに普通にあるものなの?




さて、8月は仙台市内のボタニカルガーデンや、農業園芸センターに連れて行ってもらった。この辺の人々はちょっと土地があったら、米なりなんなり植えたくなる性質のようだ。
国道脇の小さな三角形の空き地にも米が植えられているし、米じゃなかったら枝豆が植わっている。土地はいくらでもある、とばかりに駐車場も駐輪場も広大で、それでも余っているからなんか植えているのだ。



8月の農業園芸センターはひまわりが満開だった。9月はトマト狩りができるらしい。
そして園芸センターの中にある公民館のようなカフェではここらで取れた食材でできたジェラートが売られていた。イチジクのジェラートなんて初めてだった。



全然おしゃれ感ない見た目のこのイチジクのジェラート。絶対に加工品じゃない生のイチジク使ってるな、そのへんから取ってきたんだろうな、という味だった。もっとおしゃれに飾ろうとすればいくらでもできるのに、「そのへんにあったから入れてみた」感満載のイチジクのジェラート



この時期、スーパーや市場で青いイチジクが大量に売られている。
何にするのかと思ったら、「え?知らない?甘露煮」と驚かれた。なんでも宮城県の郷土料理なんだそうだ。「オシャレ感あるねー」と言ったら「いや、別にばあちゃんたちの作る茶色くてしわしわのおやつだよ?そんなおしゃれなもんじゃないよ」と鮭太郎は言う。


いくらだっておしゃれにできるポテンシャルあるよ?
でもアレなんだな、「そのへんに生えてたから煮た」って感じなんだろうな。
昔からそうやってこの時期のおやつにしてきたんだろうな。


昨日は台風前の海の様子をチラ見して、そのまま海辺のフルーツパークにぶらぶらと遊びに行った。
フルーツパークはJRさんが経営しているので、カフェもおしゃれげだ。
そして「梨スカッシュ」が売られていたので「梨!!」と注文した。



可愛い見た目で、完全に「生の梨のすりおろし+レモン」の味。
上に載っている梨スライスは多分普通には売れない小さい梨を利用していて、「ああ、そこの梨畑で取れたのね」というのを強く感じる。飾りのミントですら野性味がすごくて「そのへんに生えてやがったな、こいつ」と思わざるを得ない。


生の果物をそのまま使うから、加工品よりちょっと味が薄かったり、色味が薄かったりもする。
関東で売るならきっとその辺をもっと工夫して、その分お値段も上乗せして売るだろう。
そして季節限定だなんだと大騒ぎして人々が行列を作り、わざわざ都内のカフェまで食べに行ったりするんだろう。


「消費する街」にいた頃、季節限定のあれこれの商品は客寄せのためや、店のブランドイメージのためにあったけれど、生産地であるここでは「そのへんに生えてたので作ってみた」という感じなので、そのギャップにいつも不思議な気持ちになっている。
だって目的が完全に逆なんだもの。なんだかあまりにも健全なんだもの。


そこに土地があったので米を植え、果物を植え、そのへんに生えてたから、甘露煮にしたり、餅にしたりジェラートにしたりし、そのへんに落ちてた石で漬物を漬ける。
この辺の人たちって本当にすごいなあ。


そろそろこの辺の人たちは河原で芋を煮る季節だ。
そんな光景を見たらまた、「そのへんですぐ煮炊きするこの人達すごい」と思うのだろう。

三つ子の魂

仙台に引っ越す前に久々にかえる姉さんとお茶をした。
かえる姉さんは若い頃に劇団で一緒に働いていた先輩で、仕事に関しては大概姉さんから教わった。
今は姉さんも劇団を辞めて別の会社で働いているが、あれこれ先回りしてものを考えては周りの人に「考えすぎですよ」と言われると言っていた。

杉の生い茂る高尾山。


それ、私も言われがち!
と驚いていたら、姉さんが「だって我々あの劇団育ちだもん。何かあっても誰も助けてくれないし、自分でなんとかしないといけなかったから、事前にあれこれ想定していたじゃない」と言う。
確かに。ああ、そうか、そのせいか。だからこんなにも先回りしてあれこれ心配してしまうようになったのか。
なんだかすごく納得した。

遠くを見渡して危機に備えるキリン ズーラシア


一緒に仕事をしていた頃、あの人には常に「次に使う人のことを考えろ」と言われた。母親みたいだなあ、と思っていた。
「用紙を使い切ったら次の箱を開けろ」「輪ゴムをグチャグチャにしておくな、取りやすいように入れろ」などなど。
そして未だに何かにつけて思い出すのが「ホチキスの黄色いところが見えたら芯を補充しろ」との教えだ。

黄色いところ


劇団を辞めても、よその会社に行っても、共用じゃなくて自分専用のホチキスでも、自宅でも、私は黄色いところが見えるたびに「補充!補充しないと姉さんに怒られる!」と20年以上思い続けて生きている。今日も会社で思い出した。
多分死ぬまで思うのだろう。


かえる姉さんではなく、もう亡くなった祖父についても同じように石に刻まれた教えがある。
それは「電気のカバーに虫が入ったままにするな」ということだ。


祖父から直接聞いた訳では無く母から聞いたのだ。祖父母が家にくるとなると母が電気のカバーをチェックして「じいちゃん、ここに虫が入っているのが大嫌いだから洗ってきて」と言われ、電気のカバーを風呂場で洗った。
正直、年末の大掃除でも電気のカバーは洗っていなかった。ここを洗うのは祖父が家に来るときだけだ。
だから強烈に刻まれたのだろう。
「電気のカバーの中に虫が入っているとじいちゃんが怒る」


秋の羽虫が家に入ってきて、猫を興奮させる今日このごろ。今日はちょっと大きめの虫がさきほどからぐるぐると回転している。
奴め、そのうち、電気のカバーの中で死ぬのだろう。
そして私は「じいちゃんに怒られる!」と思いながら、週末電気のカバーを洗うのだ。


「怒られる!」と怯えながら、そしてちょっと笑ってしまいながら、これで姉さんやじいちゃんは喜んでくれるかと思いながら、きっとこの先もずっとこうして、ホチキスの芯を補充し、電気のカバーを気にかけて生きて行くんだろう。

とりとめのない日々

「もう辞める」と決めて、他の人にも話をしたら少しは気が楽になったけれど、仕事は相変わらず暇だ。
昨日はメインの仕事が浄水器のカートリッジ交換だけだったし、今日は電報を捨てる仕事だった。


それなのに。ああ、それなのに、それなのに、どうしてこんなに相撲が見れていないんだろう。
7月場所は引っ越しで落ち着いて見られない!なんて言っていたが、それでも引っ越しの合間にテレビは見ていた。
場所が始まる前は相撲友達と稀勢の里の特番の話や、相撲グッズの話をしては笑っていた。


フェリシモがすごい商品を出しているのだ。



どうして。


すごいな。よくこんな商品思いつくな。
それに比べたら相撲協会のグッズなんて可愛いもんだよ。



栃煌山おすすめの焼き鳥ポーチ。
栃煌山ファンのつるちゃんが2日目に国技館に行くというので「5個くらい買いなよ!」と伝えたけど、買わなかったみたい。
代わりにおみやげで「お布団パン」を送ってくれるらしい。可愛い、嬉しい。



そんな話もしていたのに、私は今場所の番付すらチェックしていなかった。平戸海がせっかく幕内にあがっていたのに。
ごめん、平戸海、ごめんね。全然見てなかったよ。
NHKの「大相撲どすこい研」で若元春の笑顔にキュンキュンしてたのに、相撲は見ていない。


初日は、10年ぶりに元同僚に会って、一緒に定禅寺ストリートジャズフェスティバルに行った。仙台で会うなんて!とお互いに驚きながら懐かしい思い出話をたくさんして楽しかった。月曜日はヨガに行ってからイカを焼いた。
今日は生協に行ってからじゃがいもを炒めたりしてた。


そんな風にとりとめのない、なんとなく忙しない日々。
やっぱりまだまだここでビジターで、初心者で落ち着かないものね。
早くいい仕事が見つかってほしい。中秋の名月にもそんなお願いをした。

100年の扉


この週末の仙台は定禅寺ストリートジャズフェスティバルやらオクトーバーフェストやらイベントが盛りだくさんなので、街に出ようと計画していたところ、なんと!
街なかの「藤崎」という地元百貨店で、仙台育英優勝記念で真紅の大優勝旗が展示されると言うではないですか。
しかも11日までだと言うので、これは行くしかない!と行ってきた。


とは言え、そろそろ仙台育英優勝の熱も冷めやっている頃だろう、イベントが多い週末なので人も分散するだろう、七夕まつりもそんなに混雑していなかったし、仙台の人がいくら「激混みだよ」と言っても首都圏に比べれば全然だろう、と私はナメくさっていた。
そして10時開店の藤崎に、開店10分前に到着したのだが。



失礼ながら、仙台にこんなに人がいたのか、と思うほどの大行列が出来ていた。
一瞬、帰ろうかなとも思ったが、考えてみれば私は高校野球のためなら結構行列に並んできた。神奈川県大会の決勝では始発で出かけてハマスタの長蛇の列に並んだ。ここでひるんでなるものか、と列の最後尾に加わった。


3列に並んだ行列の隣には老夫婦がいて、「1時間位は待つだろうな」「それでも甲子園に行くと思えば1時間じゃ効かないから」などと濁点の多い東北訛りの言葉で話し合っていてぐっとくる。


ああ、そうだ、私は本当にナメていたな。
「東北勢の初優勝」「真紅の大優勝旗が白河の関を越えた」「歴史的勝利」「100年の扉が開いた」「東北の悲願」
そんな言葉を、言葉の上でしか、表面上でしか理解していなかった。
そうなのだ、今日、ここにある真紅の大優勝旗は、今年初めて東北に来たものなのだ。何度も何度も何度もチャレンジをして、準優勝はできても、優勝旗は手に入れることができなかったのだ。


たくさんの学校、監督、野球部員が夢に見て、やっと手に入れた優勝旗なのだ。
そのことを私は何もわかっていなかったなあ、と恥ずかしく思った。


1時間ちょっと並んで、会場は4分で入れ替えのため出される。それでも仙台で優勝旗を見ることが出来て本当によかった。
SNS等への写真のアップは禁止とのことなので写真は載せない。


写真やテレビでは誰もが何度も見ている優勝旗だ。でもそれが目の前にあるとやっぱりぐっと来る。同時に展示されていた朝日新聞社の写真も素晴らしかった。やはりプロのスポーツカメラマンは一瞬で胸を打つ、すごい写真撮るなあ。



来週から発売される優勝記念写真集も早速予約して外に出た。
会社と家の往復で、ほとんど街なかに出ることがなかったけれど、街なかはやっぱりまだ育英の優勝で盛り上がっていた。

アーケードの横断幕



あとでTwitterを見たら、あのあとどんどん列が伸びて2時間待ちになったりして、15時位で今日の入場分は打ち切りになったらしい。
そうだよね、それだけ価値のある優勝で、それだけ並んでも見る価値のある優勝旗だよね。
その重みを、今日になって、私はやっと理解した。
今更だけど、仙台育英学園高校、おめでとう。