そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

東北の冬

仙台に引っ越してきたのは夏だった。
昼間は蒸し暑いけれど朝晩の涼しさと言ったらなかった。お盆を過ぎたら一気に涼しくなり、エアコンをつけることもほぼなかった。
そんな極楽の反面で「…ということは冬が寒いってことだよな」と私はずっと怯えていた。

秋に連れていってもらった鳴子峡。寒暖差が激しいので紅葉が鮮やかだった。


仙台人たちは言っていた。
「仙台の冬はそんなに寒くないからー」
「雪もそんなに降らないしー」


またその一方でこうも言っていた。
「東北ですから冬は寒いですよ。風が痛い」
「路面が凍結するから、ヒールじゃ歩けないからね!」
「ウールのコートじゃ無理だから」


そんな言葉に私は逐一「いや、東北人の寒くないはアテにならない」「ウールじゃ無理なのか」と気を引き締め冬に備えてきた。


寒くなり始めて驚いたのは、家の設備のすごさだ。
賃貸マンションに住んでいるが、関東の家とは気密性がまるで違う。
おかげで室外と室内で温度が10度は違う。室内だけなら関東にいた頃のマンションよりずっと温かい。
そして凍結防止のため水道管に電気が通っているので、冬に水道から出る水も凍るような冷たさではない。関東にいた頃は野ざらしの水道管の水だったので、キンキンに冷えていたけど。


すごいな、東北。備えが違うな。
そう思っていたが。

猫はぬくもりを要求する生き物。


12月に入った途端に寒波がやってきた。
なんなんだよ、この寒さは!やっぱ東北無理。帰りたい。こんなの精神を病む。
…と、憤ったり落ち込んだりするほど寒かったが、仙台人たちは手袋もせずマフラーもせず帽子もかぶっていなかった。


私は「こいつらバカか?」と思いながら街を歩いていたが、仙台人は言っていた。
「あー、まだ12月だし」
「コートとか手袋出し忘れてて、ま、いっか、みたいな」
「すぐ車乗るから」


なぜ出し忘れるのだ。冬なのに。それも東北の冬なのに。関東の冬とは違うのに。
更には、会社の忘年会の日、酔っ払って浮かれていたのかコートを忘れて帰った人がいたそうだ。なんで12月末の夜更けにコートなしで帰れるの?外を歩けるの?バカなの?

ストーブのぬくもりなしでは生きられないのだ。


おまけにこの燃料費高騰の折にも、平気でエアコンをガンガンかけ、どこもかしこも建物の中は暑いくらいだ。
東京だったら節電!とか言ってエアコンの温度も22~23度くらいに設定されていた。
でも東北の人は冷暖房費をケチらない。夏は冷房が25度になっていてとても寒かった。冬は26度だ。そして暑い暑いと言っている。こんな温度差じゃ何を着ていいかわからないくらいだ。


燃料費高騰とか関係ないんだな、こういう文化なんだな。
関東ではあれだけうるさく節電を要求されたのにな…。
そんな訳で、冬の初め、私はなんだかとてもイライラしていた。
寒いし、東北の人間は平気で薄着して風邪ひいて病欠するし、節電意識もないんだから!おまけに晴れてるのに雪降るし!と。


年が明け、そんな東北にも慣れてきた頃、最強寒波がやってきて、仙台も雪が積もった。サラッサラのパウダースノーだ。
関東で降る雪はぼた雪で、車が通るとすぐに轍の部分の雪が溶けたので、雪が積もったら車道を歩くようにしていたが、こちらの雪はそれしきでは溶けない。
みんな冬前にスタッドレスに履き替えているので、平気で真っ白な道路の上を車が走り、営業にも行く。

積雪量は大したことないけど、一日たっても道路も真っ白。


さすが東北は雪慣れしているなあ、と感心したが、そんな真っ白な道路を平気で自転車が走ることには驚いた。
まって!自転車はスタッドレス履いてないでしょ?なんで平気でチャリ乗るの?
しかも雪の日だけならまだいい、雪のあとには何日も道路が凍るが、それでも仙台人は平気で自転車に乗る。若い人だけじゃない。子供を載せたママチャリも、買い物のおじいさん、おばあさんも。


更にはヒールで氷の上をそろそろと歩くレディたちも多い。
いやいや、言ってたじゃん、「ヒールとか無理だから」って。「路面凍結するから冬は通勤途中に転ぶ労災が多い」って。
私は音楽も聞かず、足元を真剣に見つめて歩いているわよ?それくらいの危険度はある道よ?転んだら氷が刺さりそうな道だよ?
なぜそれでもヒールを履き、自転車に乗るの?あなた方の危機意識はどうなっているの?

2018年横浜。関東じゃ雪なんて積もらないでしょって言われたけど積もるよ。


「関東から来たんじゃ、仙台の冬は大変でしょう?夜寒くないですか?ちゃんと寝れてます?」
心根の優しい東北の人は、そのように心配してくださるが、大丈夫です。
私、あなた方みたいに冬に慣れ、冬を軽視していないんですよ。
コートを出し忘れることもないし、スノーブーツも用意してあるし、手袋もマフラーもしてるし、灯油をうっかり切らしたりもしないんです。
すごく冬に怯えながら暮らしているんです。


来年になったら、私も冬を軽視し、雪道を自転車で走るようになるんだろうか。
いや…ムリだな。転んだら骨折れそうだもの。頭打って死ぬかもだもの。



そんな冬の日々、寒さであまり外出せず、引きこもっていたおかげで簿記3級は無事とれました。
次は保険募集人資格と簿記2級だー…。

ガチ本気

月日の経つのは早いもので、あっという間に年末だ。
去年の12月はまさか仙台に引っ越すなんて思ってもいなかった。会社を辞めるかどうかもまだ迷っていた。
なんと激動の1年だったことよ。


さて、11月から無事に就職できたのだが、覚えることが山のようにあり、資格取得も必要なので、毎日忙しく働き、そしてガチで勉強もしている。まったくもって知識ゼロなので、まずは日商簿記3級を1月末に受ける。受かったら2級の勉強と、巡回監査士補、とやらの勉強だ。教科書と問題集はすでにたくさん頂いた。



そんな忙しい日々の中で、仙台での生活にはすっかり慣れたのかと言われればそんなこともない。
11月は家からほど近い池がリアル「白鳥の湖」になっていて大変驚いた。なんでも冬の間、シベリアあたりから白鳥がやってきて越冬するらしい。どうせならもっと温暖な地域に行けばいいのに、白鳥は仙台を選んだらしく、池だけでなく、稲刈りの終わった田んぼにもいる。


遠くから野生の白鳥がバッサバッサと翼をはためかせてやってくる様子は「ああ、鳥は恐竜だというのは本当なのだな」としみじみさせるほど、ちょっと恐ろしい迫力があるものだ。
ガチの白鳥だよ…と私は恐れおののくが、友人は「ああ、毎年来るのよ」と平然としている。白鳥が身近な生活か…。白鳥の湖が…。



12月驚いたのは、仙台の本気の寒さだ。関東で着ていたウールのコートや安いダウンで越せる冬ではなかった。
来週から寒波が来る、と言われた日、私はアウトドアショップに飛び込んで「仙台の冬が越せるコートをください」とお店の人にお願いをして、グースダウンのロングコートを買った。フード付きだ。


買っておいて本当に良かった。
これまでの人生、コートのフードはただの飾りだと思って生きてきたが、東北では飾りではなく、必需品だった。
毎日雪がチラつくのだ。そのため傘のかわりにフードをかぶる。そうでなくとも本気で寒いのでフードをかぶる。あまりの寒さに私は「なんで毎日雪降るの?バカなの?意味分からない。もう関東に帰りたい」と半ギレで歩いていた。

光のページェント。一緒に見に行った友人は「ひかペ」と呼んでいた。…ひかぺ…。


12月中旬になると、この街の「お正月への本気度」に驚いた。
生協の宅配のチラシを開いた瞬間、もう正月一色だ。正月用品以外はないほどだ。こんなに本気なの…?とおどろく。スーパーの店頭だってすごい。
餅の山だ。しかも、餅だけではない。あんこ、ずんだ、きなこの1kgパックが山積みだ。マジかよ…。


驚いていたところ、友人は言う。
「ほら、こっちはみんなが帰省してくるところだから。みんな集まるからお正月ちゃんとやるんだよ」


ああ…そうかー。確かにな。
…と、納得したが、更に謎風習もあった。
ホームセンターのお正月飾りコーナーにある日、POP広告がどーんと出ていた。
「本日は大安!お正月飾りを買いましょう!」


…お正月飾りを買うのに大安だのなんだの気にしたこともなかったが、こっちの人は気にするらしい。しかも、お正月飾りと一緒に、習字の半紙に海老が描かれたような謎の紙を持っていた。



なんじゃ、あれは。
と思っていた謎が今日解けた。
友人のご実家のお飾りのお手伝いをさせてもらったのだ。



これは「玉紙」という仙台の風習で、海老と昆布の二種類あって、海老の紙は神棚の鏡餅の下、昆布の紙はお仏壇の鏡餅の下に挟むそうだ。そして鏡餅は門松みたいに左右セットで2個置くらしい。
「仙台特有の文化らしいよ」と言うと友人は「え!知らなかった!」と驚いていた。


おまけに「輪通し」というものの作成も行った。

写真は借り物。


輪飾りの藁のねじれの隙間に松と昆布と紙垂を差し込むのだ。こんなことをしたのは生まれて初めてだ。
これも宮城特有の文化らしい。
なんてここらの人は正月に対して本気なんだ…。


まだまだこうして日々は驚きに満ちているし、いつ慣れるのだかわからない。
関東に帰りたい気持ちも少しはあるし、仙台での暮らしを面白がってもいる。
本気でずっとこっちに住むんだかどうだか、わからないまま激動の2022年は終わろうとしている。
仙台は年明けから本気で寒くなるらしい。私は本気で勉強をしていかなくてはならない。


とりあえず目の前のことだけ本気でやって、驚いたり、楽しんだりして生きていこう。来年も。

こたつがけ


ふー。100均毛糸でこたつがけが編み上がった。
昔、筋肉少女帯が「キノコパワー、キノコパワー」と歌っていたが、これは無職パワーだ。
無職で、とにもかくにもヒマだったので、ちくちくちくちく延々と編み進めていたが、本日やっと完成した。


このこたつがけを編み始めた頃は転職活動中だった。
適性検査の結果を待つ頃に編み始め、二次面接への心配を打ち消すように一心不乱に編み進め、役員面接を待つ間も「これでダメならしょうがない」と自分に言い聞かせながらただただ編み進めた。


そして先週、ついに内定が取れて11月中旬からの就職が決まった。
決まったのだけれど全然実感がなく、騙されているのでは、などと思いながら、それでも少し安心してかぎ針を動かし続けた。


1週間たったら就職の実感も湧くかと思いきや、そんなこともなかった。
でもこたつがけを編み終わったら、なんとなく「ああ、これで転職活動も終わり、編み物も終わりだな」と思えた。




猫による製品検査もなんとかクリアした模様だ。


「内定取れたよ」と友人たちに連絡した所、みんな口々に「今度はインターネットある会社だよね?」と聞いてくる。
本当に、そこ、大事だよな。
今までそんなこと当たり前だと思って気にしたことなかったけど、インターネットのない会社で勤務をしたことで、トラウマのように「インターネットあるよな?」と思うようになった。


やれやれ、これでなんとか生きていけそうだ。灯油も買える。
そして、これで本当に私は仙台に腰をおろして生きていくことになるのだろうな。
七十七銀行がメインバンクになったり、でっかい大福を当たり前のように思ったりして生きて行くのかな。


それは少し寂しいような、怖いような、ふわふわとした不思議な気持ち。

ゴンドアの谷の歌


ゴンドアの谷の歌にあるもの。
「土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう。」
どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ


ジブリは学びの多いアニメだな。



土曜日は芋煮に行ってきた。



天気も良く、寒くもなく、木々も少しづつ色づき始めていてとても楽しかった。
人生2度目の芋煮。まだまだやはり、人々の「芋煮慣れ」「芋煮への情熱」には驚かされる。カセットボンベで使えるガスストーブを持っていたり、立派なテーブルを持ち込んでいる人もいれば、さんまを網焼きにしている人もいる。農家の方なのか、藁を持ってきて着火剤にしたり藁焼きにしたりしている人たちもいた。


朝イチで始めて昼には撤収する組もある。海外旅行のようなスーツケース持参で来て、スーツケースの中身はすべて芋煮セット、という人たちもいる。そうか、スーツケースって芋煮具材運ぶのにも使えるんだな。
すごいな。本当に、すごいな。



お腹がいっぱいになったら、コーヒーでも飲みながら焚火タイムだ。
今回、我々は誰かが使ったあとのかまどをそのまま2つ使わせてもらった。石をちょっと足したり、引いたりしながら。
そのように、芋煮シーズン開幕後は大体、人の使ったかまどをアレンジしながら使うことが多いそうだ。混み合って、既存のかまどがなければ新規作成するのだろうが。


人々が撤収し始めたあとで、かまど跡を見て回る。まるで縄文人の生活跡でも眺めるような心持ちだ。


一番左のかまどは素晴らしい安定性だった。
友人鮭太郎曰く、今までの芋煮で一番素晴らしかったかまどは、元自衛隊員の作成したかまどだったそうだ。自衛隊員は塹壕掘りだけでなく、かまど作成も上手なのだな。当たり前だけどサバイバル能力すごい。


さて、こんなかまどを見ていて、私は以前からずっと不思議なことがあった。
人が使い終わったあとのかまどはまだ熱々だし、炭が完全に消火できていないことの方が多い。ただでさえ歩きにくい石だらけの河原で、もしも転んで熱々の石に手をついたらどうなるの?サンダルでうっかり踏んで怪我をしたら?子供が走り回ってかまどに入ってしまったら?

100均の網で熱々チーズとバゲット、最高だったわ。


しかし、そんな事件は起きていないのだ。
私はそこに東北の子どもたちの危機管理能力の高さを思って驚愕する。
先日、山形の立石寺に行ったときもそうだった。



この道。横は断崖絶壁だ。私は怖すぎて壁にへばりついて歩いた。
こんな所、もしも子供がはしゃいで走り回ったら落ちて死ぬじゃないか、と心配で仕方なかった。
安全なハイキングコースである高尾山だって、はしゃいで走り回った子供がコースから落ちて怪我をしたり、亡くなった大人だっているのだ。
でも、ここでは平気で子どもたちも登ってくる。そしてはしゃいで走り回るということもない。
なんという危機管理能力だ。


そんな驚きを口にした所、今回の芋煮に初参戦した首都圏男子が川向こうの絶壁を指さし、「あー、確かに関東だったら、あの岩の上に”飛び込み禁止”って横断幕貼ってありますよねー」と言う。
そうそうそう、関東だったら絶対、キャンプ場とかの岩場に貼ってある。そしてそれでも飛び込む奴がいる。怪我をする者も、流される者もいる。


やはり、これは自然が身近な者と身近でない者の差なのではないか、と思う。
自然が身近でない者は、ついうっかりはしゃいで走り回って痛い目に遭うのではないか。自然の驚異への想像力が欠けてしまうのではないか。やはり人は土から離れては生きられないのではないか。


そんなことを思っていた矢先、痛ましいニュースを見た。4歳の子供が都営住宅から落ちて亡くなったという。
そのニュースを聞いてすぐ、山寺のあの崖を思い出した。そして東北の子供ってすごいな、と再度しみじみした。
山も川も水田も、芋煮も虫も魚も当たり前の世界で生きているんだものな。
こっちの子の育ち方ってゴンドアの谷の歌みたいだものな。

具だくさん

この時期、スーパーに行くと受付カウンター脇に、どーんとデカい鍋や鉄板や炭が置かれ「○月○日○○様」などと書かれていたりする。
芋煮会用に鍋やら食材やらを予約した人のために準備されているのだ。
初めてそれらを見たときには大変驚いた。なにせ、特に案内もなくいきなりそこに置かれているのだ。
「なんで?なんでなの?どこに芋煮の予約できますって書いてあるの?」と困惑する私に、地元民鮭太郎はこともなげに言った。
「毎年のことだし、芋煮セットの貸出なんて当たり前すぎるので、特に案内もないのでは?」


…そうなんだ。当たり前なんだ…。
秋になったらみんなで芋煮をやるのが当たり前で、その際はスーパーで鍋やらなにやら貸し出すのは当たり前のことなんだね、この東北の地では…。



生協では一応案内チラシもあって、大変安心した。


ヤマザワという山形本拠地のスーパーで、やっと芋煮の案内チラシを見つけたときも大変安心した。


芋煮には上記の通り、山形風と宮城風があり、山形風は牛肉で醤油ベース、宮城風は豚肉でいわゆる豚汁らしい。
この時期のスーパーの里芋コーナーには、宮城風芋煮と山形風芋煮、2種類のレシピまで置いてある。異文化交流的なやつか。


「そもそもの芋煮の発祥が山形であり、宮城には遅れて入ってきた、宮城は豚汁」とは宮城県民鮭太郎の言葉だ。
その言葉を裏付けるかのように、先日立ち寄った道の駅では新米と豚汁を振る舞うイベントをやっていた。このあれこれ値上がり著しい時期になんと剛毅なことよ。さすが生産地だな、と驚きながら豚汁を飲んで、ふと思い出したことがあった。



懐かしのNHKドラマ「あまちゃん
あの中で、東日本大震災が起こった日、東京の稽古場で地震がおさまったあと、普段はまめぶ汁を作る安倍ちゃんが豚汁を作る。それを見てしおりちゃんが言ったのだ。
「いや、豚汁の方が好きなんだけどね。でも何か今はまめぶ食べて文句言いたかった。」

松岡茉優ちゃん、根性入ってて好き。


あの言葉でなんだかはっとしたのだけれど、豚汁は普通の食事でもあり、非常時の食事でもある。
2019年の台風19号の時は、台風が来る前にご飯を炊いておにぎりにして、豚汁も作っておいた。炊き出しなんかでも大体豚汁だ。
なんで、災害時って豚汁なんだろうねえ、としみじみ鮭太郎に尋ねたら「具だくさんだからじゃない?」とあっさり言われた。
確かに。おかずと汁物を兼ねるし、温かいもの食べるとなんだか気持ちが落ち着くもんな。


「でもさあ、けんちん汁じゃなくて豚汁なんだよねえ」と言うと、鮭太郎の頭にはけんちん汁という存在すらなかったようだった。それでついつい「そういえば豚汁とけんちん汁の違いはなんだったかな」と調べた。

けんちん汁 - Wikipedia

  • ポピュラーな具材として大根・にんじん・ゴボウ・里芋・蒟蒻・豆腐を胡麻油で炒め、出汁を加えて煮込み、最後に醤油で味を調えたすまし汁である。
  • 元来は精進料理なので肉や魚は加えず、出汁も鰹節や煮干ではなく、昆布や椎茸から取ったものを用いた。
  • 神奈川県鎌倉市にある建長寺の修行僧が作っていたため、「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったといわれる説がある[


建長寺が由来の精進料理だったのか!
今まで豚汁との違いをあまり理解してこなかったが、たしかに醤油ベースで、肉は入っていなかった気がする。
神奈川県民だったせいか、小学校の給食にけんちん汁はよく出てきた印象があるが、宮城県民の鮭太郎は給食にけんちん汁は出なかったそうだ。
そうだったのか。いくら具だくさんでも精進料理で肉が入っていないとなると、たしかに災害時にはちょっと物足りなさそうだ。不安でいっぱいの災害時に肉も入っていない汁物じゃ元気なんか出ないもんな、そりゃあ、豚汁になるよな。


それにしても建長寺が由来だったとはなあ。
それで神奈川県民の誇りをもって、昨日はけんちん汁を作った。豚汁と迷ったのだけれど、やめておいた。


だって明日は芋煮会だから!
河原で石を積んでかまどを作り、具だくさんの肉入り汁物を作ってみんなで食べるパーティーだからな!
スーパーで鍋を借りたわけじゃなく、現地で鍋やら食材を用意してくれるタイプの芋煮。


尚、この「手ぶらで芋煮」は宮城県発祥らしい。
つくづく人々の「芋煮にかける情熱」に驚かされるわ。

芋煮会 - Wikipedia

東北各地から人が集まる仙台圏の人口は、戦前は50万人に満たなかったが、当時は70万人を超えて毎年人口増加が激しくなり、仙台市電(1976年廃止)等で容易にアクセスできる広瀬川河川敷で芋煮会を行うには場所取りが非常に困難になり奥羽山脈に近い国鉄(現・JR東日本仙山線奥新川駅(仙台駅から約1時間)周辺のような山奥にまで遠征して芋煮会をするような状態になった。そんな中、宮城県宮城郡宮城町(現・同県仙台市青葉区)の国鉄仙山線愛子駅(仙台駅から約30分)近くにあった「河鹿荘」が、付近の広瀬川の河原を芋煮会場として提供開始した。より仙台市都心部に近い愛子駅から徒歩圏にて私企業が、食材等を準備し、参加者の手間を軽減した「手ブラで芋煮会」を商品開発したことは、従前の芋煮会の常識を覆した。すると仙台圏では、河原に限らず敷地内での「手ブラで芋煮会」のパッケージ商品を温泉旅館やレジャー施設も販売するようになり、マイカーのモータリゼーション進展と送迎バスのサービスもあって、鉄道駅周辺の芋煮会場を次第に凌駕して広まっていった。


そのうち私もこの情熱に追いつけるだろうか。
戦後、肉がない時代はイカで乗り切ってまで芋煮をしたという、その情熱に。


あー、でも楽しみー。

なんのため

現在、絶賛転職活動中のわたくし。


木、金、と面接を受けてきた。
そして2次面接へ進むために週末に適性検査を受けた。
適性検査というのは、性格の傾向を測定する問題と、基礎能力を問うSPIの2本立てだ。
性格の傾向はどうにもならないのでしょうがないが、問題はSPIだ。
テストの内容はだいたい言語(国語の論理推論)、非言語(数学)、英語で時間制限がある。



取り急ぎ模試を受けて、まあ愕然とする。
私がSPIを初めて受けたのは30代での転職活動のときだった。その時の私は大変ご立腹だった。
「30代に植木算とかやらせないでよね!もう!失礼しちゃう!」


40代の今、私は思っていた。
「人はいつまで当たりくじの確率だの、30分前に出発した時速XkmのPに時速YkmのQが追いつく時間だの、赤玉白玉10個の中から5個を選ぶときの組み合わせだのを考え続けなければいけないのか」

白いスワンボートと黒いスワンボートの順列組み合わせ


学生時代、だんだん難しくなっていく数学の教科書を恨めしく見ながら「こんなの実生活で何の役に立つんだよ、平方根なんて使うか!」と思っていた。
大人になって、塾講師になった友人ヤマダは「子どもたちに”勉強ってなんのためにするの”と聞かれたら、俺は答えている。”念のためだ!”とな!!」と言っていた。あの時は「そうだよね、歴史や美術の知識があれば旅先や美術館も楽しいし、知っていることで世界って広がるしね」なんて言って、大人の顔してうんうんとうなづいていたのだ。


でも今になってわかる。ホント「念のため」だね、ヤマダ。
このご時世、人はいつ何時、どんな理由で転職活動することになるかわからないんですよ。そんな時にすっかり忘れていた確率や組み合わせや階乗、植木算、旅人算が出てくるんですよ。
しかも、そんな公式どころか、40代はもはや、小数点の計算や分数の割り算に不慣れになっている。
更には問題を読み解くことに不慣れになり、長文を読むスピードも格段に落ちている。

キリッとした顔をしているが、何も考えていない。それが猫と私。


この面接がダメだったら、また次の面接を受けて、そしてSPIを受けたりもするだろう。ああ、バカバカ、なんで私はSPIのことをすっかり忘れていたのだ。ヒマはいくらでもあったのに。


勉強は何のためにするのか。それは念のため。
数学が何の役に立つのか。それは転職。
世の学生さんたち、いいか、たとえ文系に進もうともSPIレベルの勉強だけはやるんだ。しかも一生やるんだぞ。ゲームの代わりにやっておけ。
ボケ防止にも不意の転職にも役に立つんだから。



私もこれからはボケ防止のためにも、念のためにもSPIの勉強を続けておこう。
猫の安らかな寝顔を守るため、自分の生活を守るために。

風に吹かれて



海が近いというのもあるのだろうか。
仙台は常に風が吹いている街という印象だ。
実際、家を決めるときに不動産屋さんにも言われた。不動産屋のお姉さんは山形から来た人で、「仙台は雪は降らないけど、風が強くて、寒いというか痛いって感じです。雪が降ったほうがあったかいんです」と言っていた。
その言葉に私はずっと怯えている。


さて、風がこんなに吹いているならやることは一つだ。
そう、凧揚げ。



先日出かけた先の公園でもおじいさん達が何人か、凧揚げをしていた。
筒型の凧や連凧
つくづく思うけれど、世のおじいさんたちの中には、対象にものすごい集中力と愛情を注ぐ凝り性の人が結構いる。砂浜で何十年も貝殻を拾い続けるおじいさん、5円玉で姫路城を作るおじいさん、壮麗なボトルシップを作り上げたり、盆栽に夢中だったり、きのこに熱中したり、干潟で蟹を観察し続けていたり。



私はそういうおじいさんたちが大好きだし、尊敬している。そしていつか自分もそうなりたいと思っている。あれこれ目移りする性質なので難しいかもしれないが。
そうだ、私も凧揚げ名人を目指そう、ということで、無職なのをいいことに今週は昼間から家の前の公園で凧揚げをしている。
ちょうどいい風も吹いているのだ。



初めはうまく揚がらず、息を切らせながら走り回っていたが、しばらくして風向きとコツをつかんだら高く揚げることができた。
子供の頃、凧揚げをして、高く上がった凧が風に引っ張られるのが妙に楽しかった覚えがある。冬空の下、立ち止まって、空高く風に引かれる凧をただただ握っていただけだったのに。


あの引っ張られる感覚が忘れられなくて、なにかにつけて凧揚げしたいな、と思ってきた。
友人タキコとこどもの国へ行った10年前も。山友達のおじいさんと昭和記念公園に行った3年前も、そして「ハチミツとクローバー」を会社で回し読みしていた20年くらい前も。



森田さんの言う、「空の上で誰かに引っ張られている」感覚、すごくわかる。高く揚がった凧に満足しながら、でもカツオの一本釣りのように一生懸命糸を引いて手繰り寄せる。自分では太刀打ち出来ないような上空の気流が怖くて。
風に乗り始めた凧はまるで思春期の子供のように反抗的に「もっと糸を伸ばせ」「遠くに行かせてくれ」と要求してくるし、風を失えば「糸の切れた凧」という慣用句のようにふらふらとさまよったり、真っ逆さまに地面に落下したりする。



仙台の空は、ここに来て3ヶ月経つ今でもまだ驚くほどに広くて、雲がすごい速さで流れていく。
その中を凧は熱帯魚のようにひらひらと泳ぐ。
時折子どもたちに話しかけられて、答えつつも「通報されたらどうしよう」と怯えたりする。昨今では子供と挨拶を交わしただけで「不審な女が」とか言われるもんな。警察が来て「仕事は?」と聞かれたら「転職活動中」という答えで納得してもらえるのだろうか。
答えは風の中。


今日も今日とて、無職をいいことに凧揚げをしてきた。今日は連凧だ。連凧ゲイラカイトよりも難しい。
でもだんだん風向きも読めるようになってきた。
そのうちユパ様に言われたい。
「良い風使いになったな」とか「それにしてもよく風を読む」とか。



おかげさまで明日からは3件の面接が控えている。
仕事はうまく決まるだろうか。答えは風の中。
そして心置きなく凧揚げに熱中して凧揚げ名人になれるだろうか。
答えはいつも風の中。