そういえば

横浜→仙台へ移住したばかり。

小さな勝負

学生の頃、祖父母がお気に入りの伊豆の旅館に家族みんなで旅行に行った。
夕食は美しく上品に盛り付けられた、薄味の老人向け懐石料理。ご飯もすごく柔らかい。
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食後、家族だけになってからこっそり「全部柔らかいものばかりだったね。うっすいハムカツにソースじゃぶじゃぶかけて食べたいわ」とボヤいた所、両親も弟たちも「わかる!」と一斉にうなづいた。
お腹いっぱいだったのに、食糧難のように家族でハムカツを夢見ていたあの日…。
あれ以降、柔らかいご飯に出会うとあの日のことを思い出した。

自分で暮らし始めてから、私はずっと「硬派」だった。ご飯は硬め。インスタントラーメンも硬め。2分くらいでパリパリするような。


ここ3年、ご飯は圧力鍋で炊いている。初めて圧力鍋で炊飯した時、その手軽さに驚き、またその美味しさに衝撃を受けた。
今までと同じ普通の米がこんなに美味しく、しかも早く炊けるなんてもう炊飯器はいらないわ、と処分した。
毎日炊飯するなら炊飯器が便利に違いないが、1度に3合炊いて6つに分けて冷凍すれば炊飯は週1程度だ。それなら圧力鍋で全然いいのだ。

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ぴっかぴかのご飯が炊ける。

しかし最近、ちょっとおかしいなと思っていた。
なんだろう、今までみたいな「美味しい!!」という感動がないのだ。
「これが当たり前」として慣れてしまったせいなのか、それともお米が古くなっていたのか、私の炊き方が悪いのか。
なんとなくぼんやり、「なんか違う」と思いながら1ヶ月程して、ようやく気づいた。
「私なんだか、硬いご飯が苦手になってきたような気がする」
そうか、もう硬派は卒業なのか…。寄る年波ね。

これを機にお米の炊き方ももう一度調べてみた。
参考にしたのはこのサイト。お米屋さんなら間違いないだろうと思った。
miyagikomeya.co.jp

これまでは研いだ後、水を計量してから浸水させていたが、なるほど浸水後に計量するのか。そして浸水米の重量と同量の水か。
さっそくきちんと量ってみたが、3合の浸水米が720gくらいになる。これと同量の水は多すぎる…と驚く。
なにせいつも3合の米に600ccの水で浸水し炊飯していたのだ。

しばし悩むが「いや、私はこの浸水米に対して600ccの水でいこう」と決める。
硬かったり、柔らかかったりしたらまた次回調整すればいいのだ。
結果、それが大正解でちょうどいい硬さのふっくらしたお米が炊きあがった。

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おいしい…。

向田邦子だったか誰だったか、どこで読んだのか、ご飯を炊くエッセイに「毎日同じなんてことはなくて失敗することもあるし、うまくいくこともある、毎日勝負みたいなもの」というような文章があったと思う。

確かにそうなのだ。
炊飯器を使って、言われたとおりに水を入れスイッチを入れれば、まあそこそこのご飯が炊きあがる。それは幹線道路を歩くみたいなものだけど、鍋でご飯を炊くのは山道を歩くみたいなものだ。

事前にコースは調べていてもやっぱり途中で不安になったり、危ない場面もある。自分で決断しなければいけないこともある。
慣れて怠惰になれば、危ない目にあうこともある。先日までのように「何かちがう」ご飯になる。
炊きあがってからうっかり放っておくとピカピカのツヤは失われてしまう。
浸水をさぼれば芯が残るし、炊き込みご飯の調味料の順番を間違えても芯が残る。

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仙台のとんかつ屋さん。ちょうど新米の時期で、ご飯が忘れられない美味しさだった。

柔らかすぎて忘れられないご飯もある。美味しくて忘れられないご飯も、失敗したことが忘れられないご飯もある。
便利な世の中はこういう小さい勝負への感覚をなくしてしまう部分もあるな、と思った。
ご飯が美味しく炊けることは当たり前のことではないし、己の好みもまた、月日とともに変わるのだ。

今日もご飯がおいしい、それは小さな勝負に勝利した、ささやかな幸せ。