いつか
子供がいたらきっと、よその子のことも気になったりするんだろう。
猫と暮らしていると、よその家の猫のことも気になるから、サンシャイン池崎さん家の猫の動画を見れば、自分ちの子のように「あら、風ちゃん、ご飯食べたの?」と話しかけるし、野良猫には敬意をもって挨拶するし、猫マンガや猫ブログの猫たちの幸せも祈っている。
猫3匹と犬と暮らしているまめきちまめこさんのマンガ、毎日楽しみにしているのだけど、保護猫シンバが亡くなったのを知って動揺している。
あれしてやれば良かった、これしてやれば良かった、あの時もっと早く気づいていたら、そういう後悔を、きっといつか自分もするだろうと思っている。
うちに猫が来たのはあの子らが生後2ヶ月の時だ。可愛さに震え、やんちゃさに腹もたて、そうしてはいつも「いつか失う日」のことを恐れている。
その翌年の冬に出た「3月のライオン」の15巻で羽海野チカ先生の家のブンちゃんが亡くなったことを知って、やっぱりひどく動揺した。
各話の扉のブンちゃんの絵を見て本編そっちのけで号泣し、巻末のあとがき漫画を読んで「ああ、私だけじゃなかったんだ、やっぱりそうなんだ」としみじみ胸が詰まった。
いつまでも一緒に
いられそうな気持ちと
いつまで一緒に
いられるのかな?と
いう気持ちが
泡のように浮かぶ
それでもとても幸せな
夢みたいな日々でした
恋人や夫婦や親子でもこんなこと考えるんだろうか。
「一緒に生きる」と決めた瞬間から、ずっと心の底でいつか失う日のことを考えている。
だけど、絶対に残しては死ねないから、「私より先に死んでくれ」と思う気持ちもある。
戦争や気候変動のニュースを見れば、「猫が天寿を全うするまで、無事に暮らせるだろうか」と考える。
心中のニュースを見れば、いつか暮らしが立ち行かなくなった時、私は猫をどうするだろうか、手にかけるだろうか、と考える。
いつかその日が来て、一匹残っていたらまだ頑張るだろう。二匹ともいなくなったら、もう、生きていなくていいような気もする。
この前、見てもらった占いでそんな話をしたら、占い師の先生は「そんなこと言わないの。あなたは92歳まで生きるわ」と言っていた。
「私の猫は20歳まで生きて、私の腕の中で息をひきとった」とも言っていた。
いつか私もそうやって、最期の瞬間の猫を抱きしめるだろう。
悲しくて悲しくて声をあげて泣くだろうし、同時に最期を看取れたことに安心もするのだろう。
でもその後の人生、どうやって92まで生きるんだろうか。猫を亡くして。
今は3歳半。誕生日を迎えることを喜びつつもあと何年くらいだろうかとも思う。
年を取れば取るほど、猫と過ごした時間が長くなれば長くなるほど、失った時の傷は大きくなるのだろうと恐れている。
すやすやと横で猫が眠りこけていた今日みたいな日を懐かしく思い出すだろう。変な顔もイタズラも、わがままも暴れん坊も。
いつかその日が来ても、あなたたちは私の宝物で、私がものすごくあなたたちを大好きだっていうことだけは覚えておいてね。
それだけは絶対に覚えておいてね。
ちゃんと天寿を全うさせて、ちゃんと見送るようにするから。